父茶注意報発令中!


ある日の午後、府庫の管理をしている紅邵可が府庫へ戻ってくると一人の青年が(青年と言うには幼い顔立ちだが)書棚から大量の本を下ろし眺めているところだった。邵可は初めて見る青年に早速声をかけてみた。
「おや。えーっと君は…?」
背後から気配もなく近づいてきた邵可にいきなり声を掛けられて清雅は思わず手に持っていた分厚い書物を取り落としそうになった。しかし何事も無かったかのように振り返り声の主を見る。この男はー。
「私は陸清雅と申します。府庫の管理をなさっている…紅邵可様で合っていますか?」
丁寧な言葉遣いと慇懃な態度で応じる。この男は既に色々と調査済みだ。しかし悟られぬよう、とぼけたような口調で尋ねる。
「はい。こうして書物に埋もれて日々過ごしております」
青年が自分のことを知っていたことに邵可は少し驚く。知り合いなら兎も角、府庫の管理人の名前など覚えている者は珍しい。邵可の言葉にも如実に表れているが、府庫の管理という仕事は非常に自由で暇なのである。しかし、清雅という名はー。清雅は府庫の管理という閑職など無くなってしまえばよいと思っていたのだが、しかしそんなそぶりは全く見せずお得意の作り笑顔で曖昧にやり過ごす。
「まだ若いのに大変だね」
邵可は清雅が大量の書物を積み上げているのを見て言う。若いといっても俺は14からここに居る、と清雅は口には出さなかったものの"若い"という言葉が何故か自分の経験の少なさを指摘されているような気がしてならなかった。この男は全くそんなことを思っている風には到底見えないのだが。
「お茶でもどうだい?」
邵可はいそいそと珍しい若い客人をもてなそうと茶器を取り出してきて清雅に見せる。
「あ、えっと…」
調査済みの資料の中に、確か"紅邵可の入れる茶はとてつもなく苦い"という文言があったのを思い出す。しかし断ろうとする前に邵可はさっさと二人分の茶を淹れて持ってきてしまった。清雅のこめかみに汗が伝う。
「さぁ、どうぞ」
にこにこと邵可は清雅に茶を薦めてくる。悪気が無いだけにあってたちが悪いとは当にこのことだ。
「い、頂きます」
努めて笑顔を作る。しかし頬の辺りがひくひくと引きつってきた。清雅は一思いに邵可の淹れた茶を飲み干した。が、清雅はそのことをすぐさま後悔した。邵可の淹れる"父茶"の味は想像以上だった。耐えられるとか耐えられないとかそういう次元の問題ではないと思う。これを難なく飲める者はかなりの強者だと思う。負けた、と清雅は思った。この世に自分の敵わないものなどないと思っていたが、しかしこれは…。そう思っている内に邵可が更に清雅の湯飲みにお代わりを注いでしまったのだ。ゆっくりちびちび飲んではぐらかしていれば済んだものを。後悔先に立たず とはよくいったものだ。


「清雅君、といったね。うちの娘から話に聞いているよ」
清雅は秀麗が自分の話を父親にしているという事実を初めて知り思わず眉を動かした。
(まぁ、家であれだけ料理しながら俺の名前を叫びまくっているのだから知らないはずもないか…。)
しかし、話の内容に興味を持ったので聞いてみる。
「彼女が僕の話を? 一体どんな?」
「んー、そうだね。娘は君のことを褒めていたよ」
邵可は娘に「清雅君が君の好敵手になるんじゃないかな」と言った時のことを思い出しながら言う。
「それは光栄です」
爽やかに清雅は微笑み両手を組み頭を下げる。決して優雅な物腰を崩さない。
(あの女が俺のことを褒めていた…だと? まさかな。信じられん。)
「あの子もまだ駆け出しで色々と分からないことがあるだろうから、宜しく頼むよ」
邵可は目を細めてにこにこ笑う。清雅はその顔を見ると、どうにも落ち着かなかった。
「いえいえ、こちらこそ秀麗さんにはお世話になっていますから」
心にも無いことがすらすらと口をついて出てくる。慣れたものだ。しかし心は落ち着かない。ここで逃げるのも癪だった。自尊心がそれを許さなかったのだ。けれど、清雅はいつの間にか相手のペースに巻き込まれていることに危機感を覚えていた。相手はにこにこと自然に笑っているのに何故か自分が追いつめられているような錯覚に陥るのだ。紅邵可という男は…。甘く見ていたが先王の傍で黒狼として活躍していただけある。この職場とこの顔では誰にも悟られないのも当然かもしれない。
邵可は清雅がお代わりに口をつけていないのに気付き、
「冷めてしまったね。新しいのを淹れてあげよう」
と言って新たに茶を注いだ。淹れてもらった手前、飲まないわけにはいかない。清雅は人生で二杯目の父茶に手を伸ばす。こくり、と一口。身体中を駆けめぐる苦みに耐える。そして、ゆっくりと飲み干した。これを飲んだら何が何でも府庫を出よう、と思いながら。飲み干したところで急激に吐き気が襲ってきた。気持ち悪い…冷や汗も出てきた。清雅は自分の足ががくがくと震えていることに気付く。動けない…。


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