冗官騒ぎも静まり、秀麗が御史台に拾われてはや半月が経とうとしていた頃、
城内にある噂が広まりつつあった。
探花及第を果たして初の女性官吏となった紅秀麗が
家で鬼女の如く奇声を上げながら日々料理をしている、と。


人の噂も七十五日


その噂を耳にした者の反応は次のように分かれた。

一、
冗官騒ぎの際に秀麗に世話になった秀麗を応援しようの会の者達は
「自分も麺のように秀麗さんに叩いてもらいたいです」
とか
「そんな厳しい姐さんもまたそそるっす」
とか
「嫁の貰い手が無くなったら俺が引き取ってやるから心配するな」
とか
挙げだしたらきりがないのだが、秀麗本人がそれを耳にしたら恐らく顔を真っ赤にしながら一同を一喝するであろうことばかり言っていたし、


二、
秀麗をよく知る者達はそれぞれ次のような反応をし、
左羽林軍将軍・藍楸瑛
「秀麗殿は色々と大変だからね。きっと料理の腕もぐんぐん上がっているんじゃないかな」
吏部侍郎・李絳攸
「そういえば最近忙しくて秀麗の手料理を長らく食べてないな。今度食材を持って訪ねてみるか」
同期国試組・碧珀明
「あいつは暴れるくらいの方がいい。元気にやっている証拠だろう」
戸部尚書・黄奇人(鳳珠)
「…」 秀麗の姿を想像し、仮面の奥で少し笑う。
(また季節の便りと共に何か花を贈ってやろう) 
戸部侍郎・景柚梨
「秀君はなかなか男っぽいところもありますが、そこがまた秀君のいいところですよね」
(あの鳳珠が笑うとは…秀君にはすごい力がありますね)
尚書令・鄭悠舜
「彼女も頑張っているようですね。お会いしてゆっくりお話したいものです」
彩雲国国王・紫劉輝
「秀麗…私は秀麗がどんなになっても愛せるぞ。さて、余も頑張るのだ!」
仙洞令君・リオウ
「何かと苦労の多い女だからな。まぁ、あいつの料理はまずくなかった」

「鬼女の如く奇声を上げて」というフレーズをそれとなく無視して(聞かなかったことにして)、現実から目を背ける者、あるいは持ち前の天然ぼけを活用してコメントを述べる者が多かった。


三、
また、以前秀麗が茶州州牧であった頃、朝賀の際に見違えるほど大人びた秀麗を見た者達は(求婚した者を含み)
「いや、あんな綺麗な子がそんなことするわけないでしょう」
「根も葉もない噂に決まってる!」
妄想もいいところだが、事実とあまりにかけ離れていたりする者がいたり、
「さすがにそんな嫁には来てもらいたくないな」
「子供に悪影響がありそうだ」
と、求婚を辞退する旨をしたためて送ろうとした者もいたとか。


一方、噂をばらまいた張本人・陸清雅は城内の者たちの反応を見て楽しんでいた。別にばらまいたところで有益な情報が得られるとは思っていなかったが、想像以上にこれは良い暇つぶしになったと満足していた。


秀麗自身はそんな噂が広まっていることなど露知らず、城内ですれ違う者達から様々な類の視線を浴びせられる度に不思議に思っていた。ある者は熱に浮かされたようにじっと見つめるし、ある者は目を潤ませて哀れむように振り返りながら通り過ぎていくし、よく知った者と話をした際には「最近お疲れではないですか」というような心配の言葉をよくかけてもらったりもした。何か…変。流石にこれには秀麗も気付いた。しかしよく知るもの達に「どうしてです?そんな風に見えますか?」と聞いたところで返ってくる返事はどれも似たようなばかり。何か適当にはぐらかされたような、そんな印象を秀麗は受けた。それで事情を知っているなら包み隠さず話してくれるだろう相手に聞いてみることにした。


「ねぇ、タンタン」
小さな部屋で仕事の合間のお昼ご飯の時間に、話しかける。
「なーに?お嬢さん」
タンタンこと蘇芳は返事をしてから、淹れてもらったばかりの茶を少しすする。
「あのね、何か最近変な感じがするんだけど」
目を少し横に逸らし、そしてまた蘇芳に戻す。
「変な感じっていうと?」
何となく蘇芳は秀麗が言わんとしていることを汲み取っていたのだが、自分から話しを切り出すのもどうかと思ったので、何気ない表情で答える。
「えっとね、みんなが私のことを避けてるっていうか何か合わせる顔がないとかそんな感じ?上手く言えないんだけど」
「ようやく気付いたわけね」
秀麗は蘇芳の言葉に驚き、思わずえっ、と声を上げる。やっぱり何かあるの?


蘇芳は秀麗の鼻に手を伸ばし、おもむろにむぎゅっと摘む。もはやこれは習慣化しつつある行為だ。
「ちょっと、タンタン…」
鼻を摘まれているので変な声になる。蘇芳は手を放し頬杖をつく。
「君ももうちょっと鋭くならないとね。そんなんじゃ、セーガに勝てないよ」
「一体原因は何なの?」
「まぁ、原因はこれかな」
蘇芳は机に広げられた弁当の中身を指さす。
「これがどうかしたの」
秀麗はきょとんとした顔で蘇芳を伺う。はーっと溜息をついて蘇芳は続ける。
「これを作るときに君は何考えてる?」
「何って…えーっと、セーガ?」
「当たり」
「ま、つまり、これを作る原因であるセーガとこれを作ってる君に問題があるわけ」
「???」
ますます分からなくなってきた。秀麗は頭の中を整理しようとするが、自分のこととなるとどうも鈍くなってしまう。
「セーガが噂を流した。その噂が、君が家で料理してる時の姿についてのことだった。」
回路がようやく繋がった。
「えええっ?!」
秀麗の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返す。そんな噂になってたなんて。気付かないなんてバカバカ馬鹿ぁ〜!!それでみんなあんな変な顔してたのね。誰か本当のことを教えてくれればいいのに。穴があったら入りたいわ。などと思っていたらどうやら口に出ていたらしく、蘇芳が
「まぁ、俺みたいな奴が教えてやるべきなんだろうけど、言い出すきっかけがなかなか無くてさ」
と申し訳なさそうに言う。
「別にタンタンのせいじゃないもの。悪いのはあいつよ、セーガ」
秀麗は本気で蘇芳のことを全く責めていない様子で、清雅に全責任をなすりつけた。
「呼んだか」
秀麗がセーガと言った直後、張本人が目の前に現れた。秀麗は思わず茶を吹き出しそうになる。
「…っ、よくものこのこと目の前に現れてくれるわねぇ」
心底嫌気がさしたという風に秀麗が清雅を睨み付ける。
「皺がふえるぜ」
いちいち癇に障る物言いだ。
「余計なお世話よっ!」
秀麗は清雅に向けて残りの茶をぶちまける。清雅はそれをひらりと難なくかわす。清雅にかかるはずだった茶は床に飛び散る。秀麗はそれに目もくれず、一瞬たりとも清雅の瞳から目を逸らさない。


「あんたが噂流した張本人なんでしょう」
確認する。他に流すような奴は考えられないが。
「あぁ。それが何か問題でも?」
馬鹿にしたように清雅が嗤う。いつもの歪んだ笑顔で。
「よくもそんな口が利けるわね」
とぼけたような口調がむかつく。
「噂は事実だろ。」
俺はいつだって正義だ。間違いなど犯さない。
「ぐっ…それはそうだけど。でもっ!」
いつだって真実をついてくる。それでも、真実ばかりが本当に正しいのだろうか。
「事実無根の噂を流されるよりよっぽどマシだろ」
もっと言い返せ。いくらでも付き合ってやる。そして、勝つのは自分だ。
「そういう問題じゃないでしょ」
清雅の考えと自分の考えは全く正反対だ。いつもそうだ。
「どういう問題だ」
答えによっては切り捨ててやる。
「…」
言ったら確実に馬鹿にされる。だから言わない。
「言ってみろ、どういう問題だ」
清雅は机をがんと思いっきり殴って、座っている秀麗に詰め寄ってくる。
「…気持ちの問題よ」
言ったって無駄だと思う。けど聞かれたのだから答えるしかない。
「馬鹿か」
感情で動く人間が俺は大嫌いだ。
「まぁ、あんたの親しい人なんて数えるほどしかいないんでしょうけど」
「使えない人間に親しくする必要はない」
そうだ。
「友達いないんじゃない」
と、秀麗。
「いなかったら悪いか」
どうやら頭にきたらしい清雅は秀麗の服の襟を掴んで締め上げる。
「図星なのね」
首が絞まって苦しいが、それでもなんとか声を絞り出して言う。そして更に続ける。
「そりゃあんだけ敵作ってればそうなるわよね」
「味方なんていると思う方が馬鹿だ」
結局清雅にとって他人など利用価値があるかないか、それだけなのだ。
「いつか後ろから刺されるわよ」
刺すのは、私かもしれない。言った直後に何となくそう思う。
「そんなへまするかよ」
まるで自分という存在が唯一であるかのように。決して失敗などしないと。人間ならだれしも失敗することがあろうに。一体どうしたらそんな自信が溢れたように振る舞えるのか秀麗には全く理解できない。理解したくもなかった。


そして、清雅は気が済んだのか秀麗から手を放す。解放された秀麗は息を思いっきり吸い込む。
「お前と話をしても時間の無駄だ」
「ええ、そのようね」
お互いにもう目をあわそうともしない。その言葉を最後に会話は終了した。清雅はくるりと向きを変え出て行く。清雅が出て行った後、秀麗は、はーっと息を吐き出す。そして、ふと床に目をむける。蘇芳が床を拭いていた。
「あっ…タンタン…」
自分がさっき床にぶちまけた茶を拭いている蘇芳に気付いて思わず秀麗が声を漏らす。
「私が片付けるべきなのに…」
「いいの、いいの」
蘇芳は手をひらひら振って応じる。
「もう拭き終わったし」


「お二人さん、今日も激しくやり合ったね」
雑巾を片付けた蘇芳がそう声を掛ける。
「いつも顔会わせるとこうなのよね」
疲れた顔で秀麗が答える。
「また今日も噂通りになりそうだわ」
自嘲気味に秀麗が笑う。
「溜めると良くないし。いいんじゃないの」
蘇芳は秀麗を止めない。それが秀麗にとって最善の方法なのだと知っているから。
「ありがと」
タンタンがいてくれるから頑張れる、秀麗はそう心の中で呟き、
「さ、仕事再開しましょ」
午後の仕事に取りかかるのだった。


人の噂も七十五日というが、果たして噂が立ち消えるその頃まで、秀麗の鬱憤発散法が続いているだろうか。




→→後書き
清雅を地の文以外で登場させるつもりは無かったのに、後半で勝手に出てきてしまいました。予想を裏切る行為をなんなくやってくれる君たちに感謝!なんだかんだ言ってタンタンと秀麗、君たち十分いい夫婦みたいだよ。そんな君たちも私は好きだ。と言ったところで仕方ないのですが;今回はことわざが使えたのでそれだけで大満足。別に入れる予定なんて全くなかったのよ…最後の最後で登場しましたね。お題の台詞も何気に入ってます。


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