汚れ無き純真無垢な紅き花をこの手で汚したい。 降り積もる紅き花弁を滅茶滅茶に踏み躙りたい。 鋭い棘で身を守る深紅の薔薇を。 誰にも囚われることなく美しく咲く花を。 雨に打たれようとも頭を垂れることない凜としたその姿を。 この手で。 泥中の蓮 何故か彼女を見る度に深紅の薔薇を思い起こさずにはいられない。 だから、いつも彼女に会う度にそんな不思議な感覚に囚われるのだ。 清雅は高潔で気丈な薔薇という花が大嫌いだった。彼女に会う前から。 彼女に出会ってしまってからもその気持ちに変化はない。 むしろ薔薇という花を憎むようになった。ただの花に過ぎないのに。 薔薇が咲いているのを見ると無性に引きちぎりたくなった。 花びら一枚一枚をバラバラにして風に飛ばしたこともあった。 素手でやったために薔薇の刺で血を流したこともある。それでも止められない。 薔薇自身がその身一つで自分を傷つけられることに対抗して、 薔薇に触れる時は自分も素手でなければならなかった。 自身の矜持を守るためにも。 そんな彼女に今日も会いに行った。仕事の合間のほんの僅かな刻。 大嫌いな彼女が自分のことを憎んでいるか確認するために。 出会ってから幾度となく確認した。そして、その答えは今まで全く変わることはない。 お互いに憎み合う関係。これ程までに自分を満足させる関係は他に無い。 清雅は秀麗がいつも使っている小さな部屋の入り口から中を覗き込む。が、部屋の中には誰もいなかった。いつもなら声が漏れてくるのでもしや、とは思ったが。とりあえず部屋の中に入って探る。はっきり言って清雅に油断も隙も無い。仕事の顔つきで机の上に無造作に残された書翰や棚の書翰を探っていく。と、ふと清雅の視線がある一点に止まる。窓際に置かれた花瓶に恐らく朝摘まれただろう白い薔薇が生けられていた。清雅はその薔薇に手を伸ばし花をもぎ取ろうとし、しかし襲ってきた痛みに思わず声が漏れる。 「っ…」 手を見ると何箇所からじんわりと鮮やかな血が広がっている。清雅はそれを舐めとると猶も薔薇に手を伸ばす。もぎ取るのを諦めて一枚一枚花弁をちぎり取り、その指から出る血で紅く染め上げる。斑に染まる花弁。それがひとひら、ひとひらと床に散る。無感動な目でその姿を追う。繰り返し、また繰り返し。 「何やってるのよっ!?」 突然聞こえた鋭い声に清雅は我に返る。声の主に視線を向ける。手の中に残った一枚の花びらを握りしめて。 「お前か。随分と不用心だな」 落ち着いて顔を正してから振り返り、嘲笑うように言う。 「ひどいじゃないの。薔薇をそんな風にするなんて」 声の主でありこの部屋の今の主である秀麗は責めるように清雅に詰め寄る。 「薔薇には何の罪も無いんだから」 「罪は無い、か…」 清雅は秀麗に聞こえない程の声で呟く。 「ちょっと聞いてるの?」 声を荒げた秀麗は清雅の手を掴む。清雅は棘の痕の痛みに思わず呻く。 「え?ちょっとこれ…」 秀麗は清雅が顔を歪めたのを見て視線を掴んだ手に移し目を丸くする。 「あんまり強く握るな」 痛みに顔をしかめた清雅が言う。慌てて秀麗は手を放し、 「ちょっと待ってなさい」 と言うやいなや駈けていって、すぐに包帯やら消毒薬やら手に抱えて戻ってきた。 「手出して」 清雅は大人しく治療されることにしたのか素直に手を差し出す。 「素手で薔薇に触るなんて馬鹿ね」 秀麗は優しく清雅の手の傷を手当てしながら言う。素手で薔薇を掴んで持ってきた劉輝のことを思い出しつつ。 「お前に馬鹿呼ばわりされるのは心外だな」 むっとした清雅が秀麗を睨み付ける。しかし消毒薬が手に沁みて痛いのでそれ以上何もしない。 「はい、お仕舞い」 手当を終えた秀麗が清雅に声をかける。大人しくしていた清雅は治療済みの手をぼんやり眺める。清雅がいつもより何倍も大人しいのでどうも落ち着かない秀麗は二胡を取り出してきて 「二胡でも聴いていく?」 と声をかけた。二胡と秀麗の顔を見比べた清雅は無言で肯く。 「ご所望の曲とかあったりする?」 少しの間の後、清雅はゆっくりと答えた。 「…蒼遙姫を」 「蒼遙姫、ね」 秀麗は忙しくてここ最近二胡を弾いていなかったことに気付き、二胡の感触を確かめるように弾き始める。蒼遙姫は朱鸞(シュウラン)によくせがまれて弾いてやった曲だった。 (朱鸞、元気にしてるかしら。それに今頃、国試の勉強を頑張ってる所かしら…) 二胡の音色が床に零れ落ちる。明るく澄んでいて真っ直ぐな、しかし柔らかく豊かな音色。心の琴線に触れる響きをもって。清雅は壁にもたれ掛かって聴いていたが暫くして寝息を立て始めた。 秀麗はそのことに気付いて清雅が人前で眠るなんて、と少し驚きつつも手を止めることなく二胡を弾き続けた。曲が終わるとまた最初から。何度も何度も。蒼遙姫を繰り返し弾き続けた。 薔薇の咲き誇る花畠を清雅は一人歩いていた。衣服が裂けることも厭わずただ真っ直ぐに突き進む。衣服の裂け目から覗く肌から赤い血がぷくりと膨らんで流れ出す。やがて乾いて黒ずむ血の塊。それすら視界に入れることなく何処へ行くとも知れずただただ歩き続ける。自分の道を塞ぐ者は全て叩き落とすーそう決めていたはずなのに。今は叩き落とすでもなく自身を貫いてただ歩いているだけ。何故だ。それは清雅自身にも分からなかった。 薔薇、薔薇、薔薇。一面見渡す限りの薔薇。しかも全て深紅の薔薇。乾きかけた血のような深紅の。常人が見たら吐き気のするような景色だった。どんなに精神の強い者でも数刻いれば倒れただろう。しかしそんな中、清雅は穏やかな気持ちだった。優しい風が吹き渡り、薔薇の高貴な香りが鼻に届く。そして子供の頃に聴いた一つの物語を思い出していた。薔薇姫と呼ばれた一人の美女の話。ただの物語であると思っていたが、最近清雅の認識を変えるような話を聞いたのだった。実際にあった話だったとは。 その能力を利用するために鎖に繋がれ自由を奪われた薔薇姫。そしてその薔薇姫に薔薇を贈り続けた男。その男は愛しているからと言って束縛した。また、その薔薇姫を連れ去った一人の男。薔薇姫を殺しにきたはずなのに。その男は愛しているから自由にした。 はっきり言って清雅は昔からこの物語の登場人物が三人とも嫌いだった。自分の能力をやすやすと他人に利用された薔薇姫も、愛していると言えば何でも許されるのかというような男も、また自身の仕事を全うすることなく恋に落ちて攫った男も。けれど最後の下りだけ、何故か嫌いにはなれなかった。もう誰にも囚われぬように棘を生やした、という下り。そのことを思い出した清雅は次に秀麗のことを考える。 (あいつも薔薇のように棘を生やしている…のかもな) 秀麗を見る度に薔薇を思い起こさずにはいられないのは、彼女のそういう面からではないかと。深紅の色は何者にも染まらないという意思表示だと。仮に別の色が混ざったとすればそれは決して美しい色にはならない。自身が一番美しく輝くのはそういう姿であってこそというように。しかし、そんな薔薇には本当に罪はないのだろうかとも思う。知らない内にその身一つで他を滅ぼし得る棘の力。自分の身を守るために生やした棘で近寄る者を傷つける薔薇の罪は。 と、そこで清雅の意識が覚めた。がばっと起きあがると目の前に秀麗が居た。 「あっ…ごめん。起こしちゃったみたいね」 見れば秀麗は毛布を手にしている。 「風邪、ひいたらいけないと思って」 清雅はいつの間にか深く眠り込んでしまっていた自身に驚きつつ 「あぁ、悪い」 と短く答える。この優しさはこいつが捨てても捨てきれないものだろうと、思いながら。けれど誰に対してもその優しさを向ける彼女は誰とも結婚するつもりはないと言ったのを自分は知っている。彼女は誰かただ一人のために生きることを選ばない。そのことに満足している自分がいる一方で、しかしまた思うのだ。儚く短い刻を急いで生きているような。自分から見ても明らかに急ぎすぎではないかと思うほどに。そして、それはまた周りの色づいた花にも染まることなく一輪だけ咲く白い蓮の花のようだと。深紅の薔薇とは正反対の真っ白な蓮の花。まるで自身にはその身のみがあればよいというような姿は同じ。しかし、蓮は着飾ることをしない。その花は泥の中に咲き、その姿を泥の中でこそ尤も美しく見せる。そして、皆が忌み嫌う泥の汚れさえも自身の花を咲かせる養分にして。とても素朴なとても優しい色をその身にたたえて。汚れの中に美しく咲く花であると。たとえ自分が汚そうとも決して汚れない強さを持っているようなそんな気がする。それなのに花が咲いて四日目にして散ってしまう。しかも花が開くのは早朝。午後には閉じてしまう。開閉を三度繰り返し、ほんの僅かな刻を輝かしく生きて儚く散りゆく。 「あんまり早く死ぬなよ」 睦言のように囁く。殺したいと思う相手にこんな台詞を吐くなど可笑しい。けれどその言葉に嘘はない。 早く死なれてはつまらない。 「え?」 "死ぬ"という言葉にドキッとした秀麗が驚いて聞き返す。 「お前、大事な仕事で聞き逃すとかいう間抜けなことするなよ」 澄んだ冷徹な声が空気を切り裂く。そして、立ち上がり衣服の裾を払ってから秀麗を見下し言う。 「ちょっと待ってろ」 清雅はそう言い残して部屋から出て行き、ほんの数分で戻ってきた。 手には深紅の薔薇。花瓶の中の葉だけになった白い薔薇を捨て、新たにそこへ手際よく生ける。 「これは手当と二胡の礼だと思え」 偉そうに腕を組んで唇の両端を吊り上げて凄絶に嗤う。言葉と態度がてんでバラバラ、と秀麗は苦笑する。 「有り難う」 お礼に対して有り難うというのも何やら可笑しい気はするが。 「って、また素手で摘んできたの?いい加減学習しなさいよね。せっかく手当してあげたのに」 清雅が先ほど治療したばかりの手でまた薔薇を掴んだことに気付いた秀麗がぶつぶつ文句を言う。しかし清雅は嬉しそうにその言葉を黙って聞いており、そしていきなり秀麗の頬に触れるか触れないかの軽い口付けを落としてから優雅に部屋を出て行く。秀麗は事態を呑み込めずに、しかし起きたことは何となく理解して頬を真っ赤に染める。 (なっ、なんなのよー!一体) 清雅が入り口を出たところでタンタンこと蘇芳が部屋に戻ってきたのに鉢合わせた。清雅はちらりと横目で蘇芳を見てそのまま立ち去る。蘇芳は蛇に睨まれた蛙のように思わず身を竦ませる。 「うわ…やっぱ俺、セーガ苦手だわ」 ぼそっと呟いてから部屋に入る。と、秀麗が窓際に立っていた。心なしか頬が赤い…気のせいか?と思いつつ声をかける。 「今そこでセーガとすれ違ったけど、大丈夫だった?」 「え?ああ…うん」 どことなく上の空の秀麗が答える。その時に秀麗が少し横に動いたので深紅の薔薇が目に入ってきた。 (あれ…?確か今朝は白い薔薇だったよーな。この様子じゃ、セーガが持ってきたものか?) 秀麗の目の前でぱたぱたと手を振る。はっと秀麗がようやく蘇芳に気がついたといった風になる。 「タンタン、おかえり」 (薔薇の花言葉は愛情と憎悪…だったよな、確か。) 蘇芳は記憶の糸を手繰りつつ心の中で呟く。 (お嬢は気付いて…ないか。セーガの奴は明らかに意図的に選んでるよなぁ…) そんなことを考えながら秀麗をじーっと見つめていたので 「な、何?タンタン。何か変な顔してるわよ」 見つめられていることに気付いた秀麗が落ち着かない様子で言う。 「何でもないよ」 蘇芳はゆったりと答えると秀麗に近づき頭をぽんぽんと叩く。 「ま、君も頑張って」 「一体何を頑張るって言うのよ」 秀麗はがくっと肩を落としふらふらと机につき、頭を抱えたのだった。 清雅は思う。矛盾だらけだと。深紅の薔薇だの、真っ白な蓮の花だの。馬鹿馬鹿しいと。 けれど思わずにはいられない。この気持ちは止まらない。 深紅の薔薇であろうと真っ白な蓮の花であろうと、この気持ちに変わりはない。 薔薇のように硬い棘で反抗しようと、蓮の花のように勝手に自ら散ろうとも関係ない。 自分は自分のなすべき事をする。そして、滅茶滅茶に踏みにじりバラバラに壊してしまいたい。 薔薇がその頭を自分に擡げる日が来ることを。蓮が一番美しく咲くはずの泥の中で真実泥で汚れる日を。 泥中の蓮。そんな甘い事を言っていられるのはせいぜい今の内だ。 →→後書き タイトル先行型です。なのにいきなり初っぱなからやらかしてる私。蓮なのに薔薇に例えてどうするよ!てなことで物語はスタートしました。けど勝手に進んでいく。自分の手が正直怖いです。敢えて感想を述べるとすれば、「蒼遙姫」でもっと掘り下げたかった!ということですね。ザビ8の短編で出てきて少しだけ何か分かったんですけどそれ以上何もはっきりしたことはわかっておらず。しかもザビ8を読んでいない人にとってはネタバレにもなるので控えました。私の勝手な予想を押しつける訳にもいかないし。だからもっと全貌が明らかになってから、とも考えましたが勢いが大事なので書き上げました。薔薇姫の話にするつもりは全くなかったのに。ベクトルがいつの間にかそっちに向かってました;なんてこと。 |
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