空前絶後の青い春?


ある日、門下省次官である凌晏樹がふらりと秀麗のもとへやってきた。官服をいつものように適当に着崩している。
「何やら、さんざん犬に追いかけ回されて挙げ句の果てに肥だめに落ちたといったような顔をしてるね」
秀麗の顔を見て晏樹は開口一番にそんなことを言った。
「その方がよっぽどマシです」
晏樹に気付いた秀麗は顔を上げてしかめっ面を見せる。眉間に皺が寄っている。
「おやおや、可愛いお顔が台無しだよ」
晏樹は苦笑しながら椅子をひいて秀麗の向かいに座る。
「元々可愛くないですから」
口を尖らせて秀麗は答える。晏樹に対してこのような態度を見せるのは珍しい。お姫様は相当ご機嫌斜めのようだ。
「一応これでも私は君のこと本気で可愛いと思ってるよ」
「自称"嘘つき"の人に言われて信じられますか?」
うっそりと目を細めた秀麗はお茶の準備にとりかかる。お客様は心からおもてなししなさいという母の言葉がすっかり身に染みついている。
「随分と清雅に鍛えられてるみたいだね」
自分を疑ってかかるようになった秀麗を褒める。再び二人分のお茶を持って席に戻ってきた秀麗は、自分のお茶を一気に飲み干すと、がんっと湯飲みを卓子に打ち付けながら
「ちょっと聞いて下さいよ、晏樹様」
くわっと目を見開き、がなる。まるで飲んだくれの親父みたいだ。酒豪という噂もあるが、これでも一応華の18歳。
「それじゃあ聞かせてもらおうかな」
晏樹は落ち着いた調子で秀麗を促す。
「今日もまたあの蛾男がちょっかい出してきたんですよ。それがですねぇ、許すとか許さないとか関係なしにいつもなら布団ぶっ叩いて気が済むんですけど今日はもうはらわたが煮えくり返って仕方ないんですよっ!!だいたいそもそも何であいつが毎日のようにあたしの邪魔しにくるのか分かりませんけど? でも今日のは どうやったって清雅の方に否があると思うんですよ」
途中気になる言葉がいくつか聞こえたような気がするが…。聞かなかったことにしよう。
「それで一体今日は何があったのかな」
晏樹は秀麗に淹れてもらったお茶をゆっくり飲み干す。晏樹に促されるように秀麗は今日あったことを話し始めた。


秀麗が長々と事の次第を話し終え、ようやく一息ついたところで晏樹はぽつりと言う。
「んー、清雅も随分子供っぽいことするようになったね」
清雅がそんなことをするようになるとは晏樹も思っていなかった。だんだん子ども返りしてるんじゃないだろうか。14歳で入朝して子供らしい生活をしていなかったせいかもしれない。でも、一番の原因は。
「これも君の影響かな」
悪戯っぽく晏樹は笑いながら言う。
「え? 何でですか」
秀麗は思わず席を立ち晏樹に顔を近づけて尋ねる。
「教えて欲しい?」
代わりに何かをくれ、と言わんばかりの目で秀麗をみつめる。
「…やっぱりいいです」
晏樹のそんな目を見るのに耐えられなくなった秀麗は顔を背ける。窓から入った風が二人の間を吹き抜ける。暫しの間の後。
「…まぁ、君は朝廷(ここ)に入ってからまだちょっとしか経っていないし。今の時点で清雅に敵わないのは仕方ないんじゃないかな」
「それはそうなんですけど…」
それでも清雅に勝てないのは悔しい。仕事でもただの口喧嘩でも。それに、"いつか見返してやる"と常に思っていなければ いつまで経っても清雅には敵わない気がする。
「あんまり背伸びしすぎず、君らしくやっていけばいいと思うよ」
そんな秀麗の気持ちを知ってか知らずか晏樹はのんびり言う。
「…はい」
素直に秀麗は肯く。いつだって自分らしくありたい、そう願う。これまでも、これからも。
「あと、もっと青春してみたら?」
ふっと思い出したように晏樹が何気なく言った。
…青春?そんな言葉、久々に聞いた気がする。それはつまり私に恋をしろ、ということだろうか。
「青い春、なんて私に似合わないですよ」
秀麗ははたはたと手を振り、笑う。それでもどこか遠くを見つめるような眼差しで。
「私、恋愛に割く心の余裕が全然ないんです。今も清雅に負けないようにって必死で頑張ることで精一杯で…」
振っていた手を下げ、卓子の上で組むと、秀麗は手元に目を落とす。こんな話をいつか誰かにしたような気がする。あれは誰だったろう?"恋愛するのが怖い?"と聞かれた気がする。
「でも男女の仲というのは理屈では分からないよ。気付いたときには始まっていたとか、気付いたときには終わっていたとかね」
晏樹はそう言って片目を瞑ってみせる。
「でも…」
秀麗はそんな晏樹を見つめ、口を噤んだのだった。
「困らせてしまったかな。でもやっぱり君には笑顔が一番似合うよ」
それじゃあ、と言って秀麗が声をかける間もなく晏樹はかすかな衣擦れの音だけを残して部屋を出て行った。


晏樹は秀麗と別れてから自分の部屋に戻る途中にたまたま清雅に出会ったので声をかけた。
「清雅、お姫様のこともっと可愛がってあげないと可哀想じゃないかな」
略式の礼をして頭を下げた清雅は思わず顔を上げる。晏樹が気にするといったら紅秀麗のことか。お姫様という言葉と紅秀麗が結びつかなかった。全くもってお姫様らしくない女だから。
「え? ああ、紅秀麗のことですか。これでも十分可愛がってやっているつもりですよ」
満面の笑みを浮かべて清雅は言う。そりゃ毎日のように甚振(いたぶ)ってやっていますとも。
「あんまりやりすぎると本当に潰れちゃうよ」
そんな清雅の様子に晏樹は苦笑する。目が笑ってないよ、清雅。以前はそんなことを少しも気付かせなかったのに。
「このくらいで潰れたら所詮それだけの女だったってことですよ」
清雅は冷徹に切り捨てるように言う。晏樹が秀麗を贔屓していることも知っていたから。それを快くは思わない。
「たまには優しくしてあげないと。女の子だからね」
「あいつが女ですか? そこら辺にいる男どもよりもよっぽど男っぽいですよ」
暴力は振るうわ、言葉遣いは荒いわ。紅家直系の長姫だという事実を本気で疑いたくなる。
「それは彼女を認めてるってことかな」
清雅はその言葉に思わず口を噤む。事実、仕事の能力も悪くないし組んでてやりやすいとは思う。が。
「俺は絶対に認めませんよ」
あの女を認めるなんて反吐が出る。しかも、女だからって優しくしてやる必要は全くもってない。
「あんな甘いことを言っているようじゃ、ね。ま、最近少しはマシになりましたが」
清雅は今朝見た秀麗の姿を思い返す。せいぜい頑張れ。お前が俺に勝つなんて、たとえ天地がひっくり返ったとしても絶対にあり得ない。甘い夢を思い描くんじゃない。けど、望むならいくらでも泳がせてやる。まるで愛しい女を迎えるような眼差しで清雅は目を細める。
「愛の鞭といったところかな」
清雅が思いっきり嫌そうな顔をする。身を震わせ鳥肌が立った様子で。しかし晏樹は更に続ける。
「君も叩き落とすことじゃなくて、落とすことでも考えてみたらどう?」
その姿を想像しているのか晏樹はこの上なく楽しそうだ。
「あぁ、そういう方法も考えられますね。でもあの女相手に俺がそれをやれと?」
たった今気付いた、というような顔をして言う。けれど心底嫌そうだ。それ程までに憎く思うなんて。
「青春だね。若いっていいなぁ」
晏樹は本気で羨ましがっているように見える。一応晏樹は30代後半なのだが、隠居した老人のように清雅には見えた。
「青い春、なんて俺には似合いませんよ」
14歳にして資蔭制で入朝。今現在20歳。立てた手柄は数え切れぬ程。仕事一筋。青春など全く無用の長物だ。
「そうかな」
ふふっと晏樹は笑う。彼女と全く同じ答えを返した清雅。案外この二人は似たもの同士なのかも知れない。正反対なようでそっくりなのだ。そろそろ会話に満足したのか晏樹はくるりと向きを変え、振り返りざまに手を振りながら
「窮鼠猫を噛むとも言うから」
忠告なのか何なのかよく分からない言葉を残して去っていった。噛まれるような事態になるはずがない、と清雅はその言葉を聞き流し、晏樹の後ろ姿を見送りながら明日は何をしてやるかな、と独り言(ご)ちたのだった。




→→後書き
晏樹がついに登場!桃仙人〜とか思いつつ桃は結局出てこなかった。でもまあ、あのお方は存在自体桃みたいにふわふわ して捉えどころがない感じなので。それでもいいかな、なんて思ったり。岡目八目といって、やっぱり当事者同士 よりもこうして第三者が間に入ると物事がよく分かりますね。「ことわざ講座かよっ!」と思わず突っ込んだあなた。 そんなあなたも素敵です<結局何が言いたいのさ


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