蘇芳は清雅と二人きりで仕事をするように御史台長官・葵皇毅から命ぜられ、とある飯店に客として紛れ食事をしていた。蘇芳は何故自分が選ばれたのか分からなかった。思わず長官に聞き返してしまったほどだ。同じ時にそのことを言い渡された清雅も顔を引きつらせていた。内心何でこんな奴と、と思っていたに違いない。長官は理由を教えてはくれなかった。行けば分かる、と一言だけ。気まずいと思いつつ蘇芳はかちゃかちゃと食事をすすめる。食べていないと落ち着かなかった。向かいの清雅は時たま懐から料紙を取り出しては何かを書き付けている。個室だったので時たま料理を運んでくる者が来るくらいで会話がないとかなり静かだった。こんなんで情報収集出来るのか? 第一、清雅が手を動かすのはそういう者が出て行ってからであるので、どんな内容が書かれているのか全く見当もつかなかった。立ち上がり部屋の中をごそごそ探っていたりもしたが、蘇芳は手伝えと言われないので大人しく座って食事をし続けた。もっとも、手伝ったとしても邪魔者扱いされそうだが。


朱に交われば赤くなる


かなり長い時間が経った、と蘇芳は思った。実際にはそんなに経っていないのかも知れないが。そう思い始めた頃、清雅は用が済んだといった風に蘇芳の方にようやく目を向けた。
「なぁ。お前、あの女のこと、どう思ってるわけ?」
清雅が開口一番に尋ねてきた。蘇芳が「は?」と返すと清雅は苛ついた様子で
「こ・う・しゅ・う・れ・い。紅秀麗だ」
あぁ、なんだ。清雅が蘇芳に仕事以外の事で話しかけてくること自体が珍しかったので言われて納得する。
「お嬢さんがどうかした?」
「どうもこうもない。男と女、二人っきりで狭い部屋で仕事してるんだ。何もないわけないだろ」
清雅は蘇芳の目から一度も目を逸らすことなく話す。蘇芳はいたたまれない気持ちになる。
「いや、そんなこと言われても…」
蘇芳は清雅の視線から逃れるように横を向き、頭をカリカリと掻いてどうしたものかと思案する。
「お前、あいつに求婚したことあるだろ」
思い出したくないことを清雅に指摘されて蘇芳は頭を抱える。そのことについては何も言えない。が。
「第一、あのお嬢さんと何かあると思う方がおかしくね?」
蘇芳は言うことにこと欠いてものすご〜く失礼なことを言った。秀麗が聞いていたらどうなっていたことやら。
「それもそうだな」
清雅はクックッと笑った後、顎に手をやる。そもそも何故こいつにそんなことを聞こうと思ったのだったか。自分としたことがこんな根本的なところでミスを犯していた。


「けど、お前の方はどうなんだ? 悶々とすることもあるだろう」
清雅は嫌な笑い方をして席を立ち上がり蘇芳に近づいてきてその顎を掴み、自分の方を向かせる。目を逸らすな、というように。いや、この状況って端から見たらすごくないですか…蘇芳はそんなことを思ってしまった。
「いや、まぁ…そりゃ俺も一応男ですから」
はっきりと無いとは言い切れない蘇芳は正直に答える。
「へぇ…」
清雅はきらりと瞳を煌めかせ、蘇芳の顔を覗き込む。蘇芳は顎を固定されているので清雅の視線に耐えるばかり。
「あの女のどこがいいわけ」
今日は清雅がいやによく絡んでくる。いつもは完全無視してるくせに…。しかも、そんなこと聞かれても困る。そもそも恋愛感情とかそういう問題じゃないから。
「えーっと…」
蘇芳はうろうろと視線を彷徨わせる。何で俺、こんなことしてるんだろう?と自問しながら。
「思ってること、正直に言ってみろよ。人使いが荒いとか」
「それって良い所じゃないじゃん」
思わず蘇芳はつっこむ。とりあえず自分の思うことを述べる。
「お嬢さんは誰にでも優しいからさー。それで、俺も一応救われたし。やっぱその辺かな」
「ただのどうしようもない甘ちゃんだろ」
冗官騒ぎの時の秀麗を思い出して吐き捨てるように言う。普通あそこまでしないだろ。真性のお人好しだよ。
「男は女の子の優しさに弱いもんなの」
暢気に世の健康な一般男子論を清雅にぶつける。
「そーいうものか?」
いまいち共感出来ないといった風に清雅が首を傾げる。こうして見ると年相応の顔をしている。可愛いものだ。
「君がちょっと変わってるの」
蘇芳は手を伸ばし清雅の鼻をぴんと弾く。普段なら絶対こんなことしない。清雅も痛そうに顔をしかめはしたが、しかし反撃はしない。清雅は蘇芳が目を逸らさなくなったので顎から手を放す。


「ところで」
蘇芳から逆に清雅に聞き返す。
「君はお嬢さんのこと、どー思ってるの?」
蘇芳は聞くまでもないような気もしたが、こんな機会もそうそうないので一応聞いてみる。
「甘くて、夢見がち、ごり押しし過ぎ、自分の能力と地位を把握できてない、周囲の人間の力に頼りすぎ、 口うるさい、貧乏なくせに我が儘多い、あと…」
つらつらと秀麗の悪い(と清雅が思う)点を並べていく。清雅の指が次々に折り曲げられていく。足らなくなったら足の指でも使う気だろうかとそれを見るのも楽しそうだと思ったが、思わず蘇芳は口を挟む。
「君、吏部の査定官みたいな事言ってるね」
その言葉に清雅は眉を跳ね上げ、草木も瞬時にして凍り付くような視線で蘇芳を睨む。
「あんな奴と一緒にするな」
(って、一応面識あるのか…俺もよく知らないけど。お互い覆面官吏だからか敵対視してんのか? まぁいいや)
「それで、実際はどういう風に思ってるわけ?」
清雅がちょくちょく秀麗にちょっかいをかけに来ているのはやっぱり好きな子を虐めたりする類のものだと蘇芳は理解している。


「まぁ、思っていたよりは悪くなかった」
女が国試を受けられるようになったその年にいきなり女が合格し、しかも探花及第ときた。不正か高官に取り入ったか調べたが全くそのようなこともなかった。しかも新人いびりにも潰れることなく、いきなり杜影月と二人で茶州州牧に任官した。しかも行った先で色々無茶をやらかして結局冗官まで引きずり落とされたが、やったことはなかなか出来るものではない。どんな女なのか興味を持った。
「君が悪くないって言うってことは、つまり良いと思ってるってことじゃないの」
正直なところ、清雅がそのように言う人物など数えるほどしかいないのではないかと思う。痛いところをつかれた清雅は思わず言葉に詰まる。蘇芳はなかなか鋭いところをついてくる。
「いや…」
「だってさー、君見てるとそういう風にしか見えないよ。あと、殺したいほど愛しくて憎くて堪らないって感じ? なんか別の女と不倫してる旦那を殺そうとする女みたい」
清雅は誰かにもそんなことを言われたような気がした。しかし、それで女みたいだと言われたことに吐き気がした。
「どっからそういう風な発想が出てくるのか、その頭を開いて見てやりたいな」
気付けばいつの間にか清雅は蘇芳の服の襟元を掴んでぎりぎりと締め上げていた。
「ちょ、待って」
蘇芳は本気で自分を絞め殺しかねない清雅を宥めようとする。感情を露わにしていることに気付いた清雅はぱっと手を放す。蘇芳は解放されてほーっと息をつく。そして頬を卓子につけて、ちろりと清雅を上目遣いで見上げぼそっと言う。
「ま、君もお嬢さんの前だと素で居られるから正直楽じゃないの」
清雅のその本性を知っているのはごくごく限られた人間だろう。女だと秀麗しかいないんじゃないかとも思う。
「はっ、別に関係ない」
と言葉ではいいつつも思い当たる節があるようである。しかも何やら嬉しそうな顔をしている。…不気味だ。
(ほんっと、素直じゃないよな〜)


「けど、これから先お嬢さんと一緒にいたら君も変わるかも知れないよ」
思ったことをどんどん口にしている。いつもは腹の中に納めているのに、何故か今日は口が勝手にしゃべり出す。
「俺が何故あいつに影響されなければならないんだ」
蘇芳、やっぱりお前は馬鹿だよ。真性の馬鹿だ。イライラした様子で清雅は席に着く。
「朱に交われば赤くなるって俗に言うよ」
もうどうにでもなれ。長いものに巻かれろ人生の蘇芳も、今日だけは言いたいことを言おうと心に決めていた。
「寧ろ染まるのはあいつの方だろ」
蘇芳の言うことにいちいち反応するのも面倒になってきた。冷めた料理を片付けにかかる。朱と言わずドロドロの闇の色に染まればいい、そんなことを思いながら。
(一体どっからこんな自信が満ちあふれてくるんだろうね。俺には到底無理だけど。いや、別に清雅みたいな奴にはなりたくもないんだけどさ…。しっかし、セーガの奴はホントにお嬢のこと気に入ってるなー。お嬢って男運悪いよな。こんな奴に目ぇつけられてこの先も苦労しそう…)
再び清雅が蘇芳を無視り始めたので蘇芳は諦めて口を噤む。そしてふとあることを思い出す。
(で、結局今日の仕事って何だったわけ?)
清雅は適当に食事を済ませ代金を支払って出る。
(というかこれは公費で落ちているのだろうか?それとも清雅の私費?)
蘇芳がそんなことを考えていると、清雅がすたすたと蘇芳を置いて店を出て行く姿が目に入り慌てて追いかける。


「結局さー今日の仕事って何だったわけ?」
飯店を出た後、帰り道で蘇芳は清雅に尋ねる。行けば分かる、と長官に言われたが結局分からず終いだった。
「お前が馬鹿っぽいから食事相手に適任だったんだろう。俺も長いことやってると顔が裏では知られてるだろうし、な。」
「馬鹿っぽいって…」
「要するにお前はおまけだ。お・ま・け」
「ひでー」
「文句有るんだったらもっとまともに仕事しろ。昔は真面目にやってたんだろ」
と言って清雅は後ろから蘇芳の頭をばしっと叩く。
「げっ、そこまで調べてんの?」
自分のことがそこまで他人に知られていると気味が悪い。しかも、まだ出会ってからそんなに経ってないだろ。
「てか、君みたいなのがいるから俺みたいな奴は生き残れないわけ」
昔のことを思い返しつつ言う。あの頃はあの頃で自分なりに頑張ってたんだよなーと思いながら。
「せいぜい努力するんだな。叩き落とされないように。あの女と」
「本人の目の前でそーいうこと言うもんじゃないと思うんだけど…」
そんなことを清雅に言っても無駄だろうがぼそりと呟く。その声が聞こえたのか聞こえなかったのかは定かではないが、清雅は喋るのをやめた。二人の歩く足音だけが夜の道に響く。


蘇芳が追いついてきてからは蘇芳の一歩後ろを歩いていた清雅が唐突に言う。
「お前、でかいよな」
思わず蘇芳は振り返って自分より僅かに背の低い清雅を見る。近くに寄って比べれば恐らく一寸ほどしか違わない。が、傍目から見ると蘇芳の方が一回り大きく見えるので清雅の背が低いと錯覚してしまう。それだから、二人並んで歩くと清雅が女性のようにも見える。そんなこんなで気にしていたりするだろうか?
「君、20歳だったっけ? 微妙な歳だけど、一応まだ背ぇ伸びる見込みはあるんじゃない?」
一応フォローするつもりで言ってみる。体格はそうそう変わらないだろうから見た目に大きくなるなら背を伸ばすしかない。
「別に俺は低くても構わん」
清雅が腕を組み、目を逸らしつつ答える。口がへの字に曲がっている。やっぱり気にしてるのか。何か思うことでもあったのだろうか? 蘇芳は幼い子供をあやすようにして清雅の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「…おい」
ぎらりと清雅の瞳に鋭い光が宿る。蘇芳はそれに気付いたがそれでもめげずに頑張った。そんな様子を見て諦めたのか結局清雅が蘇芳に手を出すことはなかった。その後は会話もなく二人は並んで歩いていく。


「じゃあな」
そう言って、手を掲げ清雅は脇道へと入っていく。そういえばこの先は正反対の方向か、と蘇芳は気付く。なんだかんだ言ってもやっぱり自分の方が人生無駄に長く生きてる分、余裕あるのかなとなんとなく思う。そう思うと清雅も可愛く見えてくる。ちょっとした弟みたいなものか、あるいは息子のような。清雅とこんな風に会話が成立できたことに蘇芳は気づき驚いたが、また明日からは変わらぬ日常が続くのかと思うとちょっと憂鬱な気分もしてくる。だって、あの二人、俺のこと完全に無視して喧嘩するし。そんなことをぐだぐだと考えながら歩いているといつの間にか家の前まで来ていた。
(お嬢さんのお陰で今もこうしてこの家に帰ってこられるんだよな…)
蘇芳は門の前で一度立ち止まり、そして一息吸った後、門を押し開け中へと姿を消した。


さて、二人は気付いていただろうか。飯店での会話が秀麗のことについてのみだったことに。
また、清雅も蘇芳も他人のことは気付いても自分自身の気持ちに全く気付いていない。
果たしてその気持ちが何と呼べるものか、それは誰にも分からない。
そしてまた、二人とも既に朱に染まりつつあることを全く持って自覚していないのであった。




→→後書き
タンタンに年上らしいことをさせてみたかった…清雅も拗ねたり正直な所を見せたりすると尚良いと思います。なんだかんだ言ってこの二人って仲良くなれるような気がするんですけど。どうなんですかね?清雅とタンタンの身長差ってハッキリよく覚えてないんですけど、確かそんなに変わらないんですよね。。タンタンの方がなんとなく大きいような気がしてならない今日この頃です。


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