…久しぶりに、夢を見た。


久しぶりに夢の中で逢ったあの人は、淋しそうな顔で笑っていた。



悲しみの連鎖


―そうだ。
私がこの手で人を殺したのは初めてではなかったのだ。
直接的に、なら今回が初めてかも知れない。
あの時、私はただ白湯を淹れて彼に飲ませただけ。
そして、甘露茶を淹れてあげなかっただけ。
意図してわけではないけれど―。彼は死んでしまった。
私の淹れた白湯に入っていた毒で。
しきりに甘露茶をせがんだ彼の言葉に耳を貸さず。
そう、間接的であろうと直接的であろうと同じ事なのだ。
殺したのは私自身だ。
どうしてそれを忘れていたのだろう。
いつの間にか胸の奥に閉じ込めた想い。
それがそうさせたのだろうか。
だから、誰かが忘れていた私を責めるように夢を見させたのだろう。
この罪は―何を為そうとも決して消えない。


私は真っ暗な闇の中を彷徨っていた。辺りに手を伸ばせども何も掴めるものはなかった。
そして、不安にかられ底無し沼に引きずり込まれていくような感覚に陥る。
誰か、傍にいてくれたら―。


と、私の腕を後ろから掴むものがいた。それは、人とは思えないほど冷たい手。私は思わず小さく悲鳴をあげ、しかし恐る恐る後ろを振り返る。と、突然辺りがいきなり明るくなった。その手の持ち主の顔がハッキリと見えた。
「久しぶり…」
猫のような巻き毛は相も変わらず、茶朔洵がそこにいた。驚かせてしまったことを申し訳なさそうにゆっくりと手を離す。
「…あなた…」
私は驚きと動揺を隠せず、言葉が続かない。
死んだはずの彼がどうして―。いや、死んでしまったからこそここに?
「ずっと会いたかった」
彼は少し淋しげな顔で、そう言った。それは、ようやく会えて嬉しい、という顔では少しもない。
私はその言葉に返すことが出来なかった。そう、忙しさにかまけてつい今し方その顔を見るまで彼のことを忘れていたからだ。
彼の顔を見た瞬間、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇ってきた。口から溢れ出る血液。鉄の味の口付け。
頭を抱え込んで首を振る。無かったことには出来ない、いや、自分自身がそれを拒絶したのだ。
なのに―。
それなのに、私はこの人のことを忘れていたのだ。一時にせよ。
それを私は許すことが出来なかった。


「ねぇ…」
その声に私は視線だけ彼に向けた。
「私のこと、覚えててくれた?」
目を細めて彼は尋ねる。まるで私の気持ちを見透かしているかのように。私は何も言えなかった。
「別にね、私も四六時中君に覚えていて欲しい、なんてことはもう言わないよ」
彼は私の腕を頭から引き剥がして掴み、腰を屈めて真っ直ぐ私の瞳を見つめて言った。
それは、我が儘な以前の彼とは少し―違った。以前の彼ならきっと四六時中覚えていて欲しい、といったはずだ。だから―私に自分を殺させたのだ。人はこうして変わっていくものなのだろうか。
「けれど…」
彼は口を噤んだ。


せめて―。
彼女を殺める時に、思い出して欲しかった。
その手で私を殺したら、永遠に忘れないでいてくれると、思っていたのに。
君は。
忘れてしまったんだね。


そんな声がどこかから聞こえた気がする。彼は何も言わなかったけど。
私の頬を生温かい涙が筋になって伝う。止めどなく溢れるその涙を彼は優しく袖で拭った。


「ねぇ、福寿草の花言葉知ってる?」
ようやく涙が収まった頃、掛けられた声に顔を上げた。一体どうしてそんなことを聞くのだろう。
「…幸せを招く…?」
ポツリと呟く。それは誰もが知っているような花言葉。誰が言い始めたのかは知らないけれど。
「そうだね。永遠の幸福とか、そういうのだね。けど」
彼はそこで一度言葉を切る。
「…回想とか、悲しき思い出っていうのもあるんだよ」
ゆっくりと、彼は言葉を紡いだ。彼は―何を言いたいのだろう。
「君が何を思って彼女に福寿草の毒を飲ませたか、私には分からないけれど」
彼は知っているのだ―。私がこの手で人を殺したことを。同じ過ちを繰り返して。何故か彼だけにはそのことを知られたくなかった、と思う。
「やっぱり彼女も君も不幸になってしまったんだよ」
淋しげに笑う彼は、まるで自分と私の姿にそれを重ねるように言う。
「彼女の作った毒で死んだ人も、残された人も、彼女自身も、君も、みんなね」
「…結局、悲しみの連鎖なんだ」
その言葉は風に流れて溶けていく。儚い泡(あぶく)のように。
「そして、彼女が再び生まれ変わってこの世で幸せになったとしても、あの彼女とは違うんだ」
彼は目を閉じ、「違うんだ」と繰り返した。


私は彼の言葉に胸が抉られるような思いがした。
心の中で認めたくないと、拒絶した想い。
彼はそれを淡々と言葉に乗せて私に突きつけてくる。
それはきっと、身体を傷つけられるよりもずっと痛い。


「再会して、こんなことを言うつもりじゃ無かったんだけど…」
彼は空を見上げて言った。それにつられて私も顔を空へ向ける。
何処までも澄み渡った青。私にはその青が眩しすぎるくらいで。
「悲しみはいつか消えてしまうものなんだよ」
その声は空の青に吸い込まれるようだった。悲しみが空の青に溶けていくように。
「そして、それはごくごく当たり前のことなんだ」
その声に彼の方を向くと、彼の姿はもうどこにもなかった。
風が「さよなら…」と言の葉を運んだ気がした。
どうしてだろう。
彼は死ぬ間際に「さよなら」とは言わなかったのに―。


日も暮れかけた頃、ようやく目覚めた。仮眠室で布団に顔を埋めて、どうやらそのまま眠っていたらしい。
起きて鏡を覗き込むと目が赤く腫れぼったくなっていた。…こんな顔、父様や静蘭には見せられない。
とりあえず顔を洗おうと部屋を出た。水を汲んで顔にザバザバとかける。ひんやりと冷たくて、火照った顔にはそれが丁度よかった。顔を拭き、沈む夕陽をぼんやり眺めた。
あぁ、なんて綺麗なのだろう。人が死んでも、空は変わらずいつもと同じように暮れていくのだ。それは時に残酷で、それでも時に優しくて。変わらないものが存在することでほっとする。
私は―変わっていくのだろう。いい意味でも、悪い意味でも。
心の中でそう呟いてから、くるりと踵を返し部屋に戻ろうとした。が、清雅がいつの間にか後ろに立っていたらしい。腕を組んで、真っ直ぐ私の目を見つめてくる。
「…何?」
清雅と口喧嘩する元気は流石にない。私はうんざりしていい加減に尋ねた。


と、いきなり清雅に手を引かれてその胸に抱き込まれた。
ぎゅっと身体が密着する程抱き締められ、体温までじんわり伝わってくる。私は身じろいだが、清雅の力の前には敵わなかった。 清雅は私の髪に顔を埋めて囁いた。
「悪かった」
と一言。思いがけない言葉が出て、私の胸は震えた。清雅が何をしたというのだろう―。別に清雅は悪くないはずだ。
「どうして…?」
その言葉に清雅はビクッと身体を震わせた。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「酷いことを…言った」
あぁ、と私は納得した。きっと軒の中で言ったことを言っているのだろう。
"お前、案外強いんだな"
それに大方清雅に泣いている所でも見られたのだろう。そして―多分、清雅も思い出したのだ。私が、あの人を殺したことを。清雅のことだから、きっと経緯まで事細かに知っているはずだ。それが私の弱点であることも。
けれど、それなら尚更清雅は構わないのではないだろうか? 私がどんな思いをしようとも清雅にとって関係ないはずではないのか。
「別の方法はいくらでもあったんだ…」
清雅は泣きそうな声でそう、言った。私はその言葉の意味をはっきりと理解した。私が直接手を下さずともいくらでも手はあったと。
そもそも、毒をもって殺すということがなければ、私が行く必要もなかった。最初は捕縛の為に私が行くのが適任だと、言われたけれど。殺すという命が下った時点で、素人の私に殺しをさせることは通常考えられない。きっと、清雅は私を試そうとしたのだろう。
でも今になって、どうしてそのことを謝るのか―。分からない。


沈黙が落ちる。日はどんどん暮れていく。黄昏時は少し離れれば相手の顔も判別出来ない。けれど、この距離なら見える。
私は何とはなしに清雅の胸にピタリと耳をつけた。清雅の心臓の音がトクリ、トクリと規則的に聞こえる。何故かそれを聞いて安心する。
あぁ、清雅は生きているんだ―と。
「清雅」
清雅の腕の中で私は呟いた。
「…あんたは死なないで頂戴ね」
清雅が抱きしめていた片手を外して私の顎にかけて顔を上向かせる。
「当然だ」
彼はふっと笑い傲岸にそう言い放つ。そして、ゆっくりとその顔が近づいてきて―。


何故か分からないけれど、私にはそれを避けることは出来なくて。避けなかったことも後悔していなくて。
とても不思議なのだけど、この時が初めて清雅と一緒にいて心地よいと感じた瞬間だった。



→→後書き
秀麗の夢に出てきた朔洵はあくまでも秀麗の心が見せたものであって本人ではないということで。深層心理みたいな?朔洵ならそこまでひどいこと秀麗に言わないだろうし。影月に愛している人を泣かせるなんて最低ですって言われて反省しただろうし。
何か、本編の方では清雅が結構酷い人だったので、その反動でこんなものを書いてしまいました。やっぱ矛盾してる清雅が良いよ!
あー、でも何か原作からかけ離れていってる気がしてならないですね(汗)。この二人、こんな切ないお話要員でしたっけ?ま、それもよしということで(逃走)。

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