「……」
「へい、ぃらっしゃい、ぃらっしゃい!!」
(何で俺、こんなとこにいるんだっけ?)
蘇芳は夕食の買い物客で賑わう市のど真ん中にいた。


東奔西走の買い物修行?


「タンタン。流されてるわよ」
ぎゅっと秀麗が蘇芳の袖を引っ張る。蘇芳がはっと気付くと、どうやら人の波にもまれ流されていたようだ。
「あ…ゴメンナサイ」
秀麗の腕をそっと外して改めて周囲を見回す。と、視界にあってはならない人物を発見する。
「ぅわっ! セーガ?」
思わず思いっきり後ろに身を引いてしまった。いや、来ていることは知っていたのだが。反射的に反応してしまった。
「俺がいたら悪いか」
腕を組んで清雅はぎろりと蘇芳を睨む。冷たい空気が辺りに漂い始める。
「はい、はい、はーい。二人とも喧嘩しないの」
パンパンと手を叩いて秀麗が間に入る。
「さぁ、行くわよ!」
こうして、妙に張り切っている秀麗と、だるそうにしている蘇芳と、至極普通の爽やか青年風な清雅という奇妙な三人組が連れだって市の中を歩き始めた。


そもそもの始まりは三日前にある。
徹夜覚悟の秀麗は暇だった蘇芳に買い物を頼んだ。のだが、夕方蘇芳が戻ってきて秀麗に買い物の品を渡し、おつりを渡したところで秀麗は言葉通りぶっ飛んだのだった。
「ちょっと、これ高すぎない!?」
秀麗は蘇芳が記したそれぞれの品物の値段を改めて一つ一つ確認したが、それでもやはり信じられない値段だった。いや、確かに正規の価格といえばそうだが、今時店主の言い値通りに買い物をする者がいたとは…
蘇芳は家財を全て没収された後、かなり質素な生活に切り替えていたものの、単純に高い塩から安い塩へ切り替えるという節約法は思いついても、長年染みついた中流貴族のお坊ちゃまらしく値切り方というもの(というより、値切るという考え方自体)を知らなかったのだ。
ここで、秀麗は蘇芳に買い物を頼んだことを激しく後悔した。以前より暮らしは楽になってはいたものの、節約はすればするだけ良いとは思うし、長年染みついた家計を預かる主婦としての節約家魂(いわゆる貧乏性)がそれを許さなかった。
ちらっと蘇芳を見ると、一応申し訳なさそうな顔をしている。
(…これは。どうやら修行が必要なようね)
秀麗はそう心の中で呟いた後、すーっと息を吸い込んだ。
「値切り方、教えてあげる。仕事が立て込んでて平日は忙しいし…そうね、三日後の公休日にしましょ」
「えーっと…」
蘇芳は頭をポリポリ掻きつつどうしたものかという顔だ。
「何か問題でも?」
何を迷うことがあるのだろうか。秀麗は「ん?」と蘇芳の顔を覗き込む。蘇芳は秀麗から目を逸らし、何故か部屋の入り口の方に視線をやる。それに気付いた秀麗ははっと振り返る。
蘇芳の視線の先には…清雅。秀麗が自分に漸く気付いたのを見た清雅がつかつかと部屋の中に入ってくる。何だかいつもと笑い方が違う。
これは―そう、あの冗官に混じっていた時の笑い方だ。何故今更そんな顔を見せる必要があるというのだろうか。気持ち悪い感覚が背筋を昇っていく。
「僕も連れて行ってくれませんか? 色々と勉強になりそうですし」
(…はぁ?!)
秀麗の頭が真っ白になる。ボクモツレテイッテクレマセンカ?秀麗は呆然とした顔で清雅を眺めている。
(あーあ。お嬢さん…)
思わず蘇芳は見るに堪えなくなって目を逸らす。もうどうにでもなれ。結局自分は長いものに巻かれてしまう運命(さだめ)なのだ。
「それじゃあ三日後ですね。楽しみにしてます」
にこりと笑って清雅は抱えて持ってきた大量の書翰を二人が仕事をしている机案(つくえ)の上に山積みにすると颯爽と出て行った。
逆に清雅がこういう笑顔と態度をとると、どうも秀麗はやりにくいのだ。だから、自然と清雅のペースに巻き込まれてしまった。
そして結局秀麗はこの日は徹夜することなく(徹夜する気力が大きく減退させられたことにすら怒る気もせず)、よく分からない疲労感に苛まれた身体でふらふらと家に帰ったのであった。


なにはともあれ、かくかくしかじかの理由により、秀麗と蘇芳と清雅という三人組が珍しくも一緒に市に参上したのであった。
無論、秀麗と蘇芳が清雅に市に行く時刻を教えたということなどは決して無い。秀麗曰く、そんなに来たければ自分で調べるでしょう、と。蘇芳も積極的に清雅に教える気は起こらなかったのでそのままにしておいた。
案の定、清雅は秀麗と蘇芳が待ち合わせる場所へ待ち合わせ時間ぴったりに現れたのだった。ここまで来ると気味悪さを通り越して、その徹底ぶりに敬服したくなってくるものだ。
それでも、秀麗は清雅が来ることをもはや仕方のない悲劇的事故と処理し、蘇芳に対する値切りの秘術伝授という大切な目的を 遂行するため、むしろやる気満々になっていた。視界に時たま入る某蛾男は無視よ、無視!と心に決めてずんずんと歩いていく。
「わっ! 美味しそう〜」
秀麗は横目で店を眺めながら歩いていたのだが、ある店の前で声を上げて立ち止まった。
「おっ。秀麗ちゃん、いらっしゃい。今日は良い干杏子が入ってね。買っていかないかい?」
店のおじさんがニコニコと話しかけてくる。後からついてきた蘇芳と清雅も足を止める。
「うーん。でも、今月はちょっと厳しいのよねぇ…」
秀麗は真剣な表情で並べられた干杏子を眺める。その後ろから蘇芳がひょっこりと覗き込む。
清雅は隣に並べられた別の果物を一つ一つじっくり眺めていた。その表情からは何を考えているかサッパリ分からない。
「それなら安くしておくよ」
参ったな、という風に店主は笑いながらそう言った。何せ昔からの付き合いで秀麗の家の事情もよく知っている。
「ホント? おじさん、助かるわ」
秀麗は破顔の笑顔でウキウキと懐から財布を出す。スリ対策だろうか、財布には首にかける紐がしっかりと結びつけられている。 蘇芳は感心した。正直言うと何もそこまで…と一瞬思ったのだがどこからか「お金は大事よ!」と秀麗の声が聞こえた気がする。
秀麗はお金を渡し、代わりに干杏子の入った包みを受け取る。
「あ、というかごめんなさいね。値切り方教えようと思ってたのに普通に負けてもらえちゃったから…」
秀麗の買い物が済んだのを見計らって離れていた清雅も近づいてきた。
「いや、別に俺は構わないけど…」
蘇芳はそう言った。お嬢さんはここいらで顔見知り(というか知らない人の方が"潜り"ではないかと思うくらい)が多いので仕方ない、と。それも秀麗の人脈の為せる技だろう。店主と顔なじみになる。これも一種の値切り方である。
「次のお店はちゃんと交渉して値切りましょ」
秀麗はそう言うとまたてくてくと歩いていく。今日の買い物は秀麗宅の夕食の材料である。その点、干杏子は元々は買う予定ではなかったのであるがそういうこともある。
「二人も買いたい物があったらちゃんと買うのよ」
一応清雅の存在も無視せず秀麗はそう言った。蘇芳と清雅という男二人を引き連れて秀麗はずんずん歩いていく。秀麗を知る店主たちはその光景を見て後に次のように噂したという。
「見たかい? 秀麗ちゃんが若い男2人と一緒に歩いてたのを」
「見た見た。一人はちょっと抜けてる感じがしたけど、もう一人は結構いい面構えしてたよな」
「どういう関係なのかねぇ。秀麗ちゃんは朝廷で働いてるけど、お仕事仲間かねぇ。にしては若い気がしたけれど」
「公休日まで一緒なんて。まさか恋人とかじゃあるまいな」
「さぁ、どうだろうねぇ。何しろ、静蘭がいるからねぇ」
「そりゃ、そうだ」
周りの人も一様に頷く。静蘭ほどの男と、蘇芳や清雅のような男を比べればどちらが容貌が勝っているか、言うまでもない。それに、自分のところの嫁に来て欲しいと思っているのを諦めさせるほど静蘭は"いい男"だった。優しいし、力もあるし、武官としてのそこそこの地位にあるし、その上顔までいい。むしろ秀麗でも静蘭でも嫁か婿に欲しいくらいだ。
「それにしても、今時はあんないい男も城に多いのかねぇ。一度で良いから中に入ってみたいもんだよ」
「あら、奥さん。格好いいご主人がいるのにそんなこと言って」
「まぁ男も年食えばみんな同じさ。女もだけどね」
「だてに年だけは食いたくないねぇ」
「ホント、ホント」


秀麗はニラを売る店の前にやってきた。採れたての青々としたニラだ。ニラは年に5〜6回収穫可能であるが、生憎、ちょうど秀麗の家の庭にあるニラはまだ収穫できなかった。美味しそうなニラを見ると思わず食欲がそそられる。
「レバーと炒めてもいいし、卵でとじてもいいし、お饅頭に入れてもいいわね」
秀麗はニラにぴったりな料理をつらつらと口にしてから店主に値切り交渉を始めた。
秀麗にとってはどれも作り慣れているのだろう。しかし、蘇芳はどれも作ったことが無かった。今度お嬢さんに作り方を教えてもらおうかな、と考えながらふと清雅を視界の中に探すと何故か清雅が見当たらなかった。
「あれ? …どこ行ったんだろ」
蘇芳は首を傾げながら、秀麗の値切り交渉に耳を傾けた。
「そりゃ秀麗ちゃん安すぎるよ」
どうやら秀麗は元値の半値以下の値段を提示したらしい。原価をギリギリ切らないといったところだろうか。
「でも、おじさん。これからニラの時期になるから他のところのニラも沢山出回るようになるだろうし、我が家のニラもそろそろ収穫出来そうなのよね。無理なら今日の晩ご飯別の菜(りょうり)にしようかしら」
「う〜ん。けどなぁ」
店主は秀麗の尤もな話に唸った。それでも、渋い顔は変わらない。
「ただ、おじさんのとこのニラで作ったら、みんないつもすっごく美味しいって菜を褒めてくれるのよね」
秀麗は思い出したようにふっとそのようなことを言った。
「そりゃ嬉しいねぇ〜だったらこれくらいでどうだい?」
秀麗の言葉に気をよくした店主は、指を立てて金額を秀麗に提示する。先ほど秀麗が提示した値段よりは高いが、元値の6割程度に収まっている。
「それじゃあ買います」
秀麗はそう言って、必要な量より少なめのニラを手にとって店主に手渡す。それを包もうとする店主に秀麗は話しかける。
「今日は多めに欲しいから、ちょっとだけおまけしてもらえますか?」
そして、にっこりと上目遣いに微笑む。
「参ったな」
店主は更に一掴みのニラを足すと一緒に包んで、秀麗から代金を受け取ると代わりに包みを手渡す。
「おじさん、有り難う。また買いに来るわね」
そう言い残し、秀麗は振り返る。
「お疲れ様」
蘇芳は値切り交渉を終えた秀麗に声をかける。なかなか値切り方というのは奥が深いらしい。最初に無理な値段(買いたいと思う値段より安めの値段)を提示しておいて、商品を褒めたりして相手が自然とまけてくれるような体勢を整え、ついでにおまけをしてもらうという秀麗の値切り方には感心した。長年培われてきた技はなかなかのものである。自分にも出来るだろうか、と考えたがいきなりは無理な気がした。しかし、値切り方の極意を知っていれば慣れていく内に技が磨かれていくだろう。
「あれ…? タンタンだけ?」
その辺についてきているだろうと思っていた清雅の姿が見当たらなかったので秀麗は思わず口にした。
「あー、ここに来てすぐどっかに消えた」
さして問題でもないといった風に蘇芳は返す。どこに言っても清雅は自分たちのことを見つけられるのではないだろうかとも思ったが、流石にそれは口にしなかった。
「ふ〜ん。自分から来たいっていっておいて。ま、知らないけど?」
秀麗はこの時ある考えが浮かんだが、直ぐさま忘れた。それはまた後ほど思い出すことになる。
蘇芳がわざわざ荷物持ちになれるように家から持ってきてくれた籠にニラと干杏子の包みを入れた。両手に持って歩くのも何だし、と。ちなみに、最初に買った干杏子の包みを持っていたのもそれなりに意味はある。これを買ってお金が残り少ない、と言うのも一つの手だからだ。
蘇芳は当然のように籠を背負う。秀麗は自分が背負う、と言ったのだが"何でもかんでも自分でやろうとするな"と蘇芳に窘められてしまった。何だかそんな言葉を最近誰かに言われたような気もしたが、秀麗は蘇芳のせっかくの申し出を素直に受け入れたのだった。


二人が次の店へと歩き始めて暫くして。いつの間にか清雅が後ろにいた。気配に気付いた蘇芳が振り返ったのが気付いたきっかけだ。
「どこ行ってたの?」
秀麗は何気なく聞いてみた。別に清雅がどうこうしようと関係ないが、ただの好奇心からだ。
「別に。」
こう言われればもうそれ以上聞くこともなかろう。ちらりと清雅の手の包みを見る。布に包まれていて中身は分からないが、先ほどまではそんな包みは持っていなかったハズだ。何かを買い物してきたのだろう。しかし、それ以上の興味を示すことをやめた秀麗は再び前を向き、隣の蘇芳に話しかける。
「ねぇ、タンタン。レバニラとニラ玉とニラ饅頭、どれにしたらいいと思う?」
「どれでもいいんじゃないの…っていうか、全部作れば?」
秀麗の買い込んだニラの量からすれば3人前なら全部作っても余る量だと蘇芳は判断した。
「でも、レバニラならレバーを買わないといけないし、生憎卵が無いからニラ玉にするなら卵を買わないといけないのよ」
「ふーん。じゃあニラ玉にすれば?」
蘇芳は何となくニラ玉が食べたい気分だったのでそう答えた。ちなみに、ニラ玉は結構好きな料理だったりする。けれど最近食べていない。理由は自分が作れないからだ。やっぱりニラ玉だけでも作り方を聞こう、と蘇芳は心に決めた。
「うーんと、卵は割れたり腐っちゃうといけないから後の方がいいわね。ついでにゆで卵も作ろうかしら」
秀麗は顎に手をあててそう言った。後半部分は心なしか嬉しそうに聞こえる。
「お嬢さん、ゆで卵好きなの?」
蘇芳は何気なく思ったことを口にした。
「えっ? 何で分かったの?」
秀麗はぱっと顔を上げて蘇芳を見た。
「…何となく」
そう答えながら、当たりだったのか、と心の中で呟く。
秀麗はこの時、二年ほど前のことを思い返していた。大量にゆで卵が家に届けられた時のことを。立て続けにゆで卵を使った料理が続いたために、その後秀麗宅でしばらく卵は食卓にお目見えしなかった。ここ最近も滅多にゆで卵は食べていなかった。避けていたわけではないが、本能的にあの思い出が蘇ってくることを避けたのかもしれない。けれど二年も経てばもうそろそろ食べても良い頃だろう。
昔のことに思いを巡らせている秀麗の横顔を蘇芳は面白そうに眺めたのだった。
「そういえば、タンタンっていつも何食べてるの?」
回想から現実に戻ってきたらしい秀麗は蘇芳にそう尋ねた。
「まさか、いっつもおにぎりとかじゃないでしょうね」
「それはないけど…そのまま焼いたり煮たりとか適当に」
何故か秀麗は内臓の処理もされずにそのまま焼かれた焼き魚や、野菜がそのままゴロゴロと煮込まれている鍋を想像してしまった。
「…味付けは?」
恐る恐る秀麗は尋ねた。
「塩ふりかけて食べたり、かな」
蘇芳の食生活は秀麗の想像以上にひどかったらしい。
「今度教えてあげるから、もうちょっとまともな料理作れるようにならないと」
「え、ホント? じゃあ、ニラ玉の作り方教えて」
蘇芳は絶好の機会を逃すまいと早速ニラ玉の作り方を聞いた。秀麗は苦笑しながら答える。
「タンタンって、ニラ玉好きなのね。二人分なら、まずニラ一掴み分くらいを親指の長さくらいに切っておいて、油で炒めるでしょ? それから、卵を3個くらい溶いてそれに胡麻塩を入れて炒めたニラに回しかけて大きくぐるぐるってかき混ぜて、卵が固まったらひっくり返して焼き上がったらお皿に乗せるの。あと、あんかけを作るなら、茶器1杯分のお水にお砂糖を大さじ1、お酢小さじ2、お醤油を大さじ2くらい入れて火に掛けて煮立てたところに、大さじ2杯くらいの水溶き片栗粉を少しずつ入れてとろみがついたらさっきのニラ玉にかければ完成よ。案外簡単でしょ?」
「えーっと、砂糖大さじ1、酢小さじ2、醤油大さじ2で、水溶き片栗粉が大さじ2、ね」
蘇芳は宙で覚えようと頑張っている様子だ。それを見かねて秀麗は助け船を出す。
「また今度色々書いてきてあげるわ」
「あ、助かります」
ついには掌をひたすら指でなぞり始めていた蘇芳はその言葉を聞いて覚えることを直ぐさま中止した。
「今日は豚肉も入れようかしらね。静蘭はしっかりお肉食べないとね」
(…タケノコ家人、しっかり想われてるじゃん)
それから、秀麗が豚肉を買いたい、ということなので三人は肉を売る店へ足を向けた。


秀麗が蘇芳に「何事も練習、練習!」と言うので、今回は蘇芳が秀麗の代わりに買い物(値切り交渉)をすることになった。
「あの〜、すみません。豚肉ってありますか?」
「へい、らっしゃい。兄ちゃん、どこにするかい?」
蘇芳は尋ねられた意味が理解出来なかった。秀麗が後ろからヒソヒソと声を掛ける。
「部位を聞かれてるのよ。バラ肉でいいわ」
「あ、じゃあ豚バラで」
「どれくらいいるかい?」
「えーっと?」
ちらりと秀麗の方を振りかえる。秀麗がこれくらい、と手で示す。
「あ、これくらいで」
蘇芳もそれに従い手で量を示す。
「ほい、銅15両になるよ」
店主は蘇芳が示したくらいの肉をとって、はかりで量り、包みを取り出しながらそう言った。
「あ、あの〜。もうちょっと安くなりません?」
恐る恐る蘇芳は声をかけた。まさに駄目元で言ってみる、といった様子だ。
「んー」
店主は肉を包む作業を続けながら渋い声を上げる。
「実はうちの親父が最近疲れてるらしくて、どうしても豚肉が食べさせてやりたいんだけど、お金あんまりなくて」
蘇芳はそんなことを口にした。
「そうだったのかい。それじゃ安くしとくよ。銅10両でどうだい?」
「えーっと…銅8両になりませんか?」
蘇芳は財布の紐を解きつつ尋ねる。かなり困った表情に見える。銅8両じゃないと絶対に買えない、といった風だ。
店主は何も言わず、手を出してきた。蘇芳は銅10両をその上に乗せる。銅10両にしかならないと思ったのだ。
「親父さん、労ってやりなよ」
しかし、店主はその内の2両を蘇芳に握らせ返し、豚肉の入った包みを差し出したのだった。
蘇芳が買い物を終え、店から離れると、途中から少し離れたところで見守っていた秀麗が近づいてきた。
「タンタン、凄いわ。いきなりあんな風に値切れるなんて。もう完璧じゃない」
「え、ホントに? あんなんで良かったのかなぁ」
豚肉の入った包みを秀麗に差し出し、秀麗から銅8両を受け取ると蘇芳は頭をかきつつそう言った。
「でも、お父さん疲れてるって本当? 豚肉食べさせてあげなくて大丈夫? もし要るならちょっと分けてあげるわよ?」
「あ、あれは嘘嘘。だって他に思いつかなかったし。豚肉って疲れたときにいいんだよな、確か。親父なら元気にしてるよ」
嘘も方便、と言うがいきなりこんな高等技術で打って出るとは。何故今までそうしなかったのか不思議なくらいだ。それは、"値切る"ということと"まけてもらえる"という概念が蘇芳になかったのが原因なのであるが…。これは元お坊ちゃんの蘇芳だから仕方ないだろう。
ちなみに、困った顔をしていたのは何が何でもまけてもらわないと、この間のこともあるので、後々怖いと内心思っていたからである。人間、精神的に追い詰められれば案外何でもこなしてしまう、というのはここだけの話。
「そう、それなら良かった。あとは…卵だけでいいかしら」
基本粗食を心がけている邵可邸では客人が来る時以外は至って質素な食事だ。静蘭がもう少し出世してもいい、と言ってから野菜中心の食卓から肉中心の食卓へと変貌を遂げたとはいえ、その違いは微々たるものだ。肉があるか、ないか。家計の事情により毎日、とはいかないこともある。主菜はお肉の入った菜、野菜中心の汁物と副菜が食卓に並ぶのがやはり普通であった。
「ところで、タンタンは何か買わなくていいの?」
「まぁ、家にあるものでなんとか…」
「ちゃんと栄養摂らないと駄目よ」
そんなことを言いながら、3人は卵の並ぶ店の前までやってきた。


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