「温おばさん、卵8つちょうだい」 3人前のニラ玉に5つ、ゆで卵に3つの計算だ。卵は温おばさんの店が貴陽一安い、と秀麗は行く道すがら蘇芳に教えていた。 「あら、秀麗ちゃん。いらっしゃい。おや、後ろの二人は誰だい?」 「あ、えーっと」 言い淀んだ秀麗の後ろから蘇芳がひょっこり顔を出してにべもなく次のように言った。 「あ、他人以上知り合い未満です」 以前もそのようなことを言っていたが、あれから随分経つ。いい加減格上げしてくれないのか、と秀麗が思わず突っ込みたくなる台詞であった。 「僕は顔見知りです」 更に清雅は人の良さそうな笑顔を履いてそんなことを言った。 「へぇ〜、そうなのかい?」 温おばさんは深く追及せず卵を割れないように包んでくれた。 「それじゃあまた」 秀麗たちが店を後にしようと振り返ったところ、清雅が突然舌打ちした。 「どうしたの?」 秀麗がそう尋ねる前に既に清雅は駆けだしていた。ぽかんとして秀麗と蘇芳はその背を見送る。と、清雅が一人の男を捕まえて地面にねじ伏せるのが見えた。 「あれ…?」 何だろうと二人は清雅の元に近づいていく。周りには近くの店主たちが何事かと集まり始めていた。 「俺の前で盗みを働くとは良い度胸だな」 捕まえた男を押さえつけたまま、低く清雅は男に囁いた。 「ゆ、許してくれ!」 清雅に取り押さえられている男は悲痛な声を上げた。 「犯罪は、犯罪だ」 冷ややかな目で清雅は男を見下ろす。そこへ近づいてきた秀麗が声をあげた。 「えっ…伍おじさん?」 伍おじさん、と呼ばれた男は顔を上げて呟いた。 「秀麗ちゃん…か」 彼は何とも言えない、といったような顔をしていた。まるで小さな子供が悪戯をして叱られたときのような。 清雅はそんな秀麗と男とのやりとりには一切関与せず、男の懐を探り、あるものを取り出した。 「…おっと、さっきの葱だけじゃなくて生姜もか?」 清雅の手の中を覗き込んだ秀麗が信じられないといった風に呟く。 「伍おじさんがお葱と生姜を盗んだ…っていうわけ?」 「まぁ、そうだな」 清雅は秀麗に葱と生姜を手渡すと大きく溜息をついた。見逃すことも出来たが、犯罪を知っていながらみすみす見逃すほど清雅は甘くなかった。第一、自分の評価に差し障りが出ればそれこそ問題だ。まぁ、見逃したところでさほど問題は生じなかっただろうが。 「さてと、警吏にでも引き渡すとするか」 「でも、伍おじさんにも事情があったんじゃ…」 秀麗がそう言いかけたのを妨げるように清雅が口を挟む。それはどこまでも冷たい声。そして、秀麗を見上げる目は氷のように鋭い。 「知り合いだからって、見逃す気か? そんな甘い考えはいい加減捨てろよな」 「でも…」 そこで、成り行きを見守っていた店主の中の一人が、伍おじさんと清雅と秀麗のもとへ近づいてきて言った。 「あたしゃ、構わないよ。あんた、官吏さんか知らないけど、見逃してやってくれないかねぇ」 どうやら先ほど伍おじさんが葱を盗んだ店の店主のようだ。伍おじさんの顔を覗き込んで更に続ける。 「大方、生姜は羊さんとこで盗んだんだろう? あとで私が代わりにお金を払っておいてやるからさ」 「…すまねぇな。その通りだ」 伍おじさんは申し訳なさそうな顔をして、項垂れた。清雅は黙って伍おじさんを睨み付けている。 「でも、どうしてそんなことをしたの?」 秀麗が伍おじさんに尋ねた。秀麗の真っ直ぐな視線を見て、伍おじさんはゆっくりと口を開いた。 「…実はな、うちのやつが1ヶ月ほど前にいきなり死んじまってな」 え?と秀麗は声を上げた。最近見かけないと思っていたらそんな大変なことになっていたなんて知らなかった。母様が死んだ後、よく様子を見に来てくれたおばさんが…。仕事が忙しくてなかなか町の人とゆっくり話をすることが出来なかったことをこの時ばかりは秀麗は悔やんだ。 「それから沙耶と里久の面倒を見なきゃなんねえから、仕事を辞めちまったんだ。金もすぐ底をついちまったし、今は沙耶が風邪で寝込んでてな」 伍おじさんは、娘の沙耶と息子の里久の面倒を見るために長年やってきた大工仕事を辞めてしまったらしい。確かに、放っておくには二人の子供はまだ幼かった。 「どうしてもいいもん食わせてやりたかったんだ…」 消え入るような声で伍おじさんはそう言った。 「みんな分かってたよ、あんたが大変なこと」 葱を売っていたおばさんは伍おじさんにそう声をかけた。周りに集まっていた近くの店主たちも一様に頷く。 「けどねぇ、正直に言ってくれればいくらでもみんな助けたさ。困ったときはお互い様だろう?」 「そうだ、そうだ。おめぇがうちんとこの野菜もっていっても仕方ねぇかって諦めてたけど、やっぱり正直に話して欲しかったな」 「…本当にすまない。許してくれ」 伍おじさんは涙を流しながら何度も何度も地に頭をつけて謝った。 「…清雅、今回は見逃してあげてね」 秀麗はそっと呟く。清雅はようやく伍おじさんを解放した。何も言わずにすくっとその場に立つ。返事はないが、秀麗はそれを肯定の返事だと理解した。 「タンタン」 そして、離れて野次馬たちと一緒に事の成り行きを見守っていた蘇芳は秀麗に話しかけられて初めて、ほいほい、と近づいてきた。 「籠から卵2つとニラ一掴み、あと干杏子の包み取り出してくれる?」 秀麗に言われるまま蘇芳は籠を肩から下ろし、中からご所望の品を取り出す。清雅は背を向け野次馬の輪から外へと抜ける。 「はい、おじさん。少ししかないけど、沙耶ちゃん風邪ひいているんでしょう? しっかり栄養のあるもの食べさせてあげてね」 秀麗は蘇芳の手からそれらを受け取ると伍おじさんの前に差し出した。卵とニラでニラ玉雑炊に出来るだろうし、運良く沙耶の好物が干杏子であったのだ。 「え…いいのかい? 秀麗ちゃん」 伍おじさんは秀麗の手の品々と秀麗の顔を見比べて尋ねた。 「もちろん。沙耶ちゃんが早く元気になるといいわね」 そう笑顔で言うと、秀麗はぐるりと周りを見渡して、パンッと手を打ち鳴らし、この件はこれでお終い、とはっきりとした声で言った。その声に集まった野次馬たちはばらばらと散らばっていく。伍おじさんも何度も何度も振り返っては頭を下げ、家へ戻っていった。 野次馬たちが去って行った後、秀麗、清雅、蘇芳の三人は自然に会話していた。御史台内部での三人とは大違いだ、と知る者が見たら言ったかもしれない。 「…正直、私は伍おじさんのこと、どうしても疑えなかったのよね。結果的には丸く収まったけど…でも、やっぱり甘いのかも」 「お前の甘さは今に始まったことじゃないだろ」 大して興味もなさそうに清雅が呟く。 「まぁ、知り合いを疑ってかかるっていうのもなかなか難しいだろ。特にお嬢さんの場合、知り合い多いし」 横から蘇芳がそう口を挟む。その言葉に秀麗は苦笑する。 「でもね、御史台で…やっていくには身内を疑ってかかるくらいしなきゃ駄目なのよね」 自分に言い聞かせるように秀麗は言った。頭で理解していても、自分の心を抑えるのはなかなか難しい。でも、時には感情を押し殺さなければならないこともある。清雅が女が嫌い、と言う大きな理由が"感情的に動く"という部分なのも理解できよう。 「ま、それが出来なきゃクビだな」 フンッと当然のように清雅は鼻を鳴らした。すーっと秀麗は大きく息を吸い込む。それから一言、次のように二人に告げた。 「ところで、二人とも。うちに寄っていかない? 晩ご飯、御馳走するわよ」 いきなりの話の変わりように流石の二人も言葉通り目を点にした。…今、何つった? 「ここからならそう遠くないし。歩いてもそんなにかからないわよ」 二人が何も言わないので、秀麗はさらにそう続けた。秀麗がいきなり二人を夕食に誘ったのは理由があった。その理由は後ほど判明することになる。 「別に俺はいいけど…何でまた?」 蘇芳は今日の秀麗宅の夕食がニラ玉であろうこと、またニラ玉の作り方を学ぶ絶好の機会であること、何よりお腹が空いていたことから、いつもならあんまり男にかまけるなよと諭したところだろうが、この日ばかりは秀麗の誘いに乗ったのだった。一方、清雅はというと。 「何だ、毒でも盛る気か? それとも、天変地異の前触れか?」 いかにも不審そうな目を向け、それから馬鹿にしたような声で嗤った。 「あぁ、あんたがそうして欲しいならそうするわよ? で、来るの?来ないの? まぁ、せっかくの公休日にこんな何の利益もないことに付き合えるくらいだから、これから愛しい恋人との逢瀬なんて甘いご予定もないんでしょうけど?」 秀麗は清雅の疑ってかかった言葉に内心プチッときて、嫌味たっぷりにそう返してやった。 「逢瀬って何だよ…女なんぞと関わるとろくなことねぇよ。…一応、利益はあるんだがな」 イラッとした声で清雅はこう答えるが、後半は秀麗には届かないほどの声に抑える。 「ていうか、今現在進行中で関わってるじゃん」 蘇芳は思わずつっこみをいれる。 「五月蠅い」 有無を言わさぬ絶対零度の瞳で蘇芳を思いっきり睨み付けてから、清雅は腕を組んで秀麗を目の前に見据えた。 「お手並み拝見といこうじゃないか」 「えぇ、受けて立つわよ。ギャフンと言わせてやるわ」 結局こういう方向にしか進まない二人の様子を見て、蘇芳は何だかなぁ、と独りごちたのだった。 「ただいまー」 秀麗が蘇芳と清雅をつれて家に戻ると、公休日であるので今日は家に籠もっていた邵可と静蘭が3人を出迎えた。 「…タンタン君、何の用ですか?」 ニッコリと静蘭が蘇芳に笑いかける。蘇芳はタケノコ家人を目の前にして何も言えなくなっている。 (…っていうか、お嬢さんの目の前ではいつもこうなのかよ。) 「晩ご飯、御馳走しようと思って。いいでしょ? 静蘭、父様」 愛するお嬢様と娘にそう言われては断れない静蘭と邵可の二人は 「ええ、もちろん」 「よく来たね」 と返すしかない。蘇芳はともかく、清雅を家に入れることを二人ともあまり好ましくは思っていなかったのであるが。 「清雅君もよくいらっしゃいました」 静蘭は少し後ろに隠れていた清雅にも笑顔で声を掛ける。対する清雅も人の良さそうな笑顔を履いて爽やかに挨拶をする。 「お邪魔します」 清雅が秀麗宅に来ることに決めた理由は蘇芳とは大違いだ。直接この家に入って情報収集をすること。それが大きな目的だ。ついでに秀麗をからかってやれるネタを探すことも忘れない。あと、非常に僅かであるが秀麗の手料理を食べたいというのも少しあった。それで文句や嫌味の一つでも言えれば、十分面白いだろうとも思っていた。実は清雅を迷わせることをただ一つだけあったのだが、得られる利益の方が大きいと判断して、来ることを決めた。 「それじゃあ、父様と静蘭、二人を食卓に案内してあげて。私は庖廚にいるから」 「あ、待って。お嬢さん。俺も手伝う。ニラ玉の作り方、覚えたいし」 すかさず蘇芳は庖廚に行こうとする秀麗についていく。 「お嬢様、私も手伝いますよ」 その後を静蘭が監視役と言わんばかりについていく。一方、清雅は何も言わず、ニッコリ微笑んで邵可についていく。 邵可邸庖廚―。 「そうそう。今日、柳晋君のお父さんがいらして、お嬢様にこれを預かったんですよ」 庖廚に着いて早々、静蘭は何やら包みを出してきて秀麗に差し出した。 「何かしら…? あら、豚の挽き肉じゃない。どうしてかしら?」 「お嬢様が忙しい仕事の合間を縫って、柳晋君のお勉強をみてあげているでしょう? その御礼にと。これでしっかり栄養をとってお嬢様が過労で倒れないように、と仰っていましたよ」 「そんな気を遣わなくても良いのに…それじゃあ、お饅頭に入れようかしら。ニラも沢山あることだし」 「それは楽しみです」 秀麗は有り難くそれを頂戴し、早速調理に取りかかった。蘇芳もいそいそと秀麗の近くに行き、横から作業を眺めている。 「それじゃあタンタン君は湯を沸かしてお汁(つゆ)のダシをとって下さい」 ニッコリ笑顔の静蘭は秀麗の作業を覗き込んでいる蘇芳の背後から声を掛けた。 「分かりましたー。……はい?」 いい加減に返事をした蘇芳は一瞬の間の後、背後を振り返った。 「だから、お湯を沸かしてお汁のダシをとって下さい」 「いや、俺そんなのやったことねーし」 頭の後ろで腕を組んで蘇芳が静蘭の言に対して反対の意を表する。 「タンタン君、働かざる者食うべからず、という言葉を知っていますか? うちでは例え吏部侍郎であろうと左羽林軍の将軍であろうと働かないと晩ご飯は食べられないんですよ」 静蘭はさらにゆっくりと続ける。何気に静蘭の言葉の中に殺気に近いものを感じ取ったものの、蘇芳にとってはニラ玉の方が大事だった。 しかし、吏部侍郎と左羽林軍将軍がこの家に来て料理をするというのは本当だろうか…あとで聞いてみよう。 「それに、今日はお嬢さんにニラ玉の作り方教えてもらおうと思っ……何でもありません」 途中までそう言いかけた蘇芳は静蘭の右手に南瓜らしき物体を発見し、自分の未来予想図を見てしまった。ニラ玉と命なら、命の方が大事だろう。 (…タケノコの次は南瓜かよ。確かにタケノコの時期じゃねーけど。もっと当たっても痛くない野菜(もの)にしてくれよな…南瓜とか本気で頭にぶつけられた日にゃあの世行き確定だろ) 「それじゃあ、お任せします」 そして静蘭は一層華やかな笑顔を蘇芳に向けた後、自身も秀麗の調理の手伝いに入る。 「お嬢様、何を手伝いましょうか」 「あ、静蘭。それじゃあお葱を刻んでくれる? お饅頭に入れるから。今日はニラ饅頭とニラ玉とお芋のお汁と、あとお茄子と南瓜の酢漬けを作ろうと思うの」 「分かりました」 静蘭は一旦庭に出て畑から葱を数本抜いてくると手早く水で洗い流し、その内のタタタタタンッ、と軽快な音を立てて目にも止まらぬ速さで刻んでいく。 「あんた、すげーな。だてに長いこと生きてないよな〜」 職人技の包丁さばきに蘇芳は目を丸くし、こっそり感想を述べた。しかし、静蘭の耳はそれをきっちり捕らえていた。 「…タンタン君。私の歳がどうかしましたか?」 キラーンと包丁を煌めかせて静蘭はじっと蘇芳を見つめる。 (お嬢に求婚失敗しといて本気で良かった…この家人がそばにいる限り、命がいくつあっても足りねぇよ) 「タンタン、お鍋ちゃんと見てないと!」 秀麗がそんな二人をよそに声を上げる。蘇芳がはいはい、と振りかえるとグツグツ煮立っている。静蘭が近づいてきて後ろから鍋を覗き込む。 「まぁ…ギリギリ大丈夫でしょう。とりあえず火から下ろしておいて下さい。後は私がやりますから。と、タンタン君にはニラ饅頭の皮を作ってもらいましょうか」 「皮…って作ったこと無いんですけど」 蘇芳の背中を冷や汗が伝い落ちる。 (失敗したらきっと殺される…んだろうな。こんな所でまだ死にたくねぇよ。しかも、たかがニラ饅頭ごときで。) 「生地はお嬢様が出かける前に準備なさっていたので、餃子の皮より少し厚めに延ばせばいいだけです。中央部を厚く周辺部を薄めにして下さいね」 それを聞いて蘇芳はほっと一息つく。それくらいなら自分にでも出来そうだ。 静蘭はそれだけ言うと、お汁を作りに行ってしまった。秀麗はニラ玉を作りながら、ニラ饅頭の中身作りをしているようだ。しかも、既に南瓜と茄子の下準備も済んでいる。 手際良すぎ…とぼんやり眺めている暇もなさそうなので早速生地を伸ばしににかかる。が、案外思ったより難しい。なかなかコツを掴むのに苦労した。 そして暫くの後。 「静蘭、お饅頭の様子どうかしら?」 「えぇ、こっちは焼き上がりましたよ。お汁も出来てます」 「ニラ玉もお茄子と南瓜の酢漬けも出来たわ。お皿出さなくちゃね」 「タンタン君、お皿お願いします」 「あーい」 ひたすら皮作りに励み、神経をすり減らした後、秀麗と静蘭がテキパキと菜を完成させていくのをひたすら見守っていた蘇芳が席から立ち上がりふらふらと食器棚に向かう。働かざる者、食うべからず。この言葉は、今日この日この家に足を踏み入れてしまった蘇芳にとって、忘れたくても忘れられない言葉となった。 「お待たせー」 静蘭が扉を開き、秀麗を先頭に料理を持った3人が邵可と清雅の待つ部屋へぞろぞろと入っていく。 「おや、今日はニラ玉かい。それにニラ饅頭も。ニラづくしだねぇ〜」 邵可はいそいそと料理を並べにかかる。 「南瓜とお茄子もあるわよ。それに…なんと今日のニラ玉は豚肉入りなのよっ!みんなしっかり食べてね」 豚肉でそんなに喜ぶなよ、と内心激しく突っ込みたかった蘇芳ではあるが、貧乏生活になってからはなんとなくその気持ちも分かる気がする。 茶碗の中身を見れば白米と麦が混ざったご飯。白米が混じっているだけまだマシである。が、麦って腹になんないんだよな、と内心呟く。麦って何?と言っていたあの頃の自分が懐かしい。 一方、清雅は物珍しそうによそわれたご飯を眺めている。何か言いたそうだが、タケノコ家人と邵可さんの目の前で秀麗をからかうのは流石に憚られたのだろう、と蘇芳はアタリを付けた。 「いただきます」 5人が食卓を囲んで揃って合掌し、食事にとりかかる。カチャカチャという食器の音と会話が部屋を満たす。やはり客人が2人も増えれば賑やかだ。 「さっき、清雅君と色々話していたんだけど、若いのに本当にすごいんだよ」 邵可がニコニコとニラ玉に箸をつけながら話し出した。 「いえ、そんな」 清雅は照れたようにニッコリと微笑む。それをみた秀麗と蘇芳は酢を飲んだように顔を引き攣らせている。ずっとこの調子で先ほどまで二人きりで話していたのだろうか…。 「そんな謙遜しなくてもいいんだよ。秀麗も君の才能は認めているみたいだし、ね?」 邵可に話を振られた秀麗は引き攣った顔をなんとか笑顔にしながら 「おほほほほ。そ、そうね、父様。清雅ったらホント凄いのよ。ほら、あれとか。ね、タンタン?」 何が凄いのかサッパリよく分からないが秀麗は適当に相づちを打ち、蘇芳に選手交代した。 「俺? あ、そうそう。清雅って桃色草子読まないって信じられないよなー。男としてどうよ? な? タケノコ家人」 何を言ったらよいか分からなくなった蘇芳は適当に思いついたことを述べる。その言葉に静蘭と邵可は箸を止め、秀麗は箸を加えたまま頬を朱に染める。 「…何で私に振るんですか。しかも桃色草子。…けれど、本当に読まないんですか?」 前半はブチブチと蘇芳に対する文句を言った静蘭だが、後半はそしらぬ顔でお汁を啜っている清雅に向けて尋ねた。と、気管に入って咽せたのか清雅が咳払いを何回かした後、静蘭の問いに答えた。 「…読みませんよ」 「でも、存在は知ってたんですよね?」 自分がお嬢様にやりこめられた方法で清雅をやりこめることを決めた静蘭はごく何気ない表情でそう聞いた。 「………えぇ、まぁ。大抵の本は読破してますから」 清雅は箸を置いて机の上に並んだ菜を眺めてから、顔を上げ静蘭の顔を正面から見据え、そう言った。 「へぇ〜、桃色草子も勉強の内ってわけね」 蘇芳がニラ饅頭に手を伸ばしながら言った。この時、清雅の拳が血管が浮き上がるほど握りしめられていたことに気付いたのは秀麗だけ。 (一体いつまで猫かぶってるつもりかしらね) 「…それより、秀麗さんは本当に菜が上手いですね。毎日こんな美味しい菜が食べられるお二人が羨ましいです」 清雅は茄子と南瓜の酢漬けに手を伸ばしながら、満面の笑みを浮かべて話題転換を図った。これには男衆3人はおや、と思った。それが心から嬉しそうな笑顔だったのだ。秀麗は鳥肌が立ったように腕の辺りをさすっている。 「秀麗は小さい頃から庖廚に立っていたからね。中でも秀麗のお饅頭はみんなに好評でねぇ」 「そうですね、確かにお嬢様のお饅頭は美味しいと朝廷でも評判です。今日のお饅頭は蒸したものではなく、蒸し焼きにしたものですが…」 「おや。そういえば、清雅君はまだお饅頭を食べていないね? どれ、私がとってあげよう」 邵可が清雅の皿を取ろうと手を伸ばす。清雅は一瞬躊躇った後、素直に 「有り難う御座います」 と述べ皿を差し出した。ニラ饅頭の乗せられた皿を邵可から受け取り、酢醤油を小皿に注いでそこへニラ饅頭を浸す。 邵可は蘇芳に話しかけ、静蘭もそれに加わった。が、秀麗だけはなぜか清雅から目を離さなかった。 「……俺の顔に何か付いているのか?」 秀麗の視線に気付いた清雅がゆっくりと視線をニラ饅頭から秀麗の顔へと移した。 「別に。」 秀麗はパクリとニラ饅頭を頬張るともぐもぐとした後、ごくりと呑み込んでからそう言った。 「じゃあ見るなよ」 秀麗の顔と箸で摘んだニラ饅頭とを見比べて清雅はそう言う。 「あんたの顔なんて見てないわよ」 ふふん、と秀麗は鼻で笑ってみせた。が、視線を一瞬たりとも清雅から外そうとしない。 「見てるだろ」 清雅の目が剣呑なものへと変わる。が、秀麗は少しもそれに怯まない。 「見てないわよ。それより、さっさとニラ饅頭食べなさいよ。冷めると美味しくないわよ」 「…お前に見られてたら落ち着いて食べられないだろ?」 「気にしないでいいわよ、おほほほほ」 秀麗は得意げに笑う。清雅は秀麗の相手をするのを止めてニラ饅頭をゆっくりと口に運んだ。一瞬口に入れる前に手が止まったように秀麗には見えた。が、一口食べて呑み込んだ清雅が何故かニヤリと嗤うのを秀麗は見た。 (…な、何で?) 「美味いな、このニラ饅頭」 清雅は更に一口、もう一口と美味しそうにニラ饅頭を頬張る。それを見た秀麗はすかさずニラ玉の皿を手に取り、大きく切って清雅の皿に移した。これが新婚の夫婦であれば健気に夫に菜をつぐ新妻とでも言えようが、そんな甘い匂いを少しも感じさせないほど秀麗の動きはやさぐれていた。 「ニラ玉もあるわよ。あんた、まだ食べてないでしょ?」 じとっと清雅を舐め据えて秀麗は言う。ニラ饅頭を食べ終えた清雅は徐にニラ玉の取り分けられた皿に手を伸ばす。今度は躊躇いなく大きく箸で割き、口へ運ぶ。少し時間が経って冷めかけていたが、上にかけられたあんはとろとろで絶妙なとろみ具合、それが更にふんわり焼き上げられたニラ玉と絡んで絶妙の舌触りを醸し出していた。しかも、中に入れられた豚肉の旨味が十分に引き出されている。文句なしに美味しかった。 「…どう?」 秀麗は清雅の顔を覗き込んだ。 「普通に美味いぜ? ……お前、俺がこいつを食べられないとでも思ったのか?」 ギクリ。図星の秀麗はピタリと動きを止めた。が、すぐに反駁(ぱく)する。 「だって…あんた、ニラ駄目なんじゃないの? だって、ニラのお店にいた時いなかったし。近付こうともしなかったじゃない」 「そうだったか?」 「ニラを籠から出そうとしたときもどっか逃げてったし」 「…そうだったな」 「さっきだって、食べるの滅茶滅茶躊躇ってたわよね?」 「そうだな」 「何でフツーに食べられるのよ?」 バンッと秀麗は食卓を叩いて立ち上がり清雅を上から覗き込む。口元がへの字に曲がっている。まるで子供の怒り方だ、と音に驚いて視線を向けた蘇芳は思った。邵可と静蘭は黙って事の成り行きを観察している。 「美味いからだろ?」 清雅はちらりと秀麗を見上げて悪びれることなく言った。 (……何でよっ!?清雅の弱点、見つけたと思ったのに。何でフツーに食べてんのよ?) 「じゃあ、ニラは嫌いじゃないのね?」 そうとしか思えなかった秀麗はそう確認した。 「さあな。それぐらい自分で調べろよ」 ふふん、と清雅は笑った。 (…この反応。間違いなくニラが嫌いなんだわ。) この手の嘘なら簡単に見破ってしまえる秀麗は、更に混乱することになる。 「…嫌いなのに、なんで食べられるわけ?」 「へぇ、よく分かったな」 どうやら清雅はニラが嫌いなことを隠すのを止めたらしい。清雅は更にこう続けた。 「生のニラの臭いはともかく、お前の作った菜なら食べられるらしいな」 「第一、これは俺のために作ったんだろ?」 清雅はペロリと箸についたあんかけを舐めとると、ニラ饅頭へ再び箸を伸ばした。邵可はニコニコとニラ饅頭の皿を清雅に近づけて取りやすいようにする。 「〜〜っ。あんたの為に作ったんじゃないわよっ!!」 耳まで真っ赤になりながら元気に怒鳴り散らす秀麗を見て、邵可は隣の静蘭に話しかける。 「静蘭…秀麗がこうして元気だと安心するね」 「…えぇ。旦那様。口が少々悪くなろうと、お嬢様が元気なのが一番ですからね」 毎日のように麺生地をこねては力のままに叩きつけ、"ホワチャー"などと叫びながら菜作りに勤しむ娘とお嬢様を眺めていた二人はこれくらいのことでは全く動じなかった。 蘇芳も職場での二人と全く変わらず(むしろ、職場でないことで更に時間制限がないことで延々と)仲良く喧嘩している二人をよそに好物のニラ玉をいそいそとよそっては食べている。やはり、食事は誰かに作ってもらう方が美味しいものだ。うん。 「五月蠅いな。大人しくしろよ」 清雅はニラ饅頭を一口かじってから、ニラ饅頭を挟んだ箸を持ったまま立ち上がると、徐に秀麗の口にそれを突っ込んだ。 「っ?!」 いきなり口を塞がれた秀麗は、流石にそのニラ饅頭を無駄にすることは許せなかったので、しっかり噛んでから飲み下し、抗議の視線を目一杯浴びせる。もう清雅に抗議の声を上げる気は失せていた。清雅は楽しそうに笑って席に着く。 「はぁ〜」 それを見た秀麗はずるずると卓子に崩れ落ちていく。蘇芳がつんつん、とつついても無駄だった。 「いつもこんな風に騒いで迷惑かけてないかい?」 邵可はお汁を啜ってから蘇芳と清雅の二人に声を掛けた。 「いい迷惑です」 蘇芳は正直に言った。 「あ…まぁ、いつもこんな感じです」 気付かない内に地になっていた自分に気付き、清雅は苦笑いをする。気を遣うのを忘れるほど、秀麗の反応を見るのが面白かったせいか。今更隠しても無駄だろう。素直にそれを認めた。 「これからもよろしく頼むよ」 邵可はそう言って、ごく自然に茶器に手を伸ばし、お茶を淹れた。一体いつから淹れられていたのだろう…。案の定、そのお茶は飲めたものではなかった。蘇芳は一口飲んで飲むのを止めていたし、清雅は渋そうな顔で飲み干していた。静蘭は平静な顔で一気に煽っていた。が、今回役に立ったことは一つだけあるかもしれない。 「…お嬢様、お茶をどうぞ」 静蘭は物は試し、と秀麗に父茶を何気なく差し出した。そして、秀麗は何の疑いもなくそれを口にした。 「ぅぎゃぁぁぁぁあああああああーーーーーーーーーーー!!」 父茶で無事(?)蘇生した秀麗はかっと目を見開き、そしてその叫びは闇夜に吸い込まれていく。こうして騒がしい公休日の夜は更けていったのだった。 後書き→→清雅は何となく猫っぽいのでニラが嫌い設定。でも秀麗のニラ料理は食べられたという。秀麗はこっそり隠し味に色々入れたりしてるのでそのお陰かも?基本的にニラの臭いは加熱時間が長くなればなるほどとれていくものらしいです。けど、今度から御史台の部屋にニラでも生けておこうかな、と考えたりしている秀麗でした。(清雅除けに) |
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