「おい、そっちじゃないぞ」 清雅は秀麗の腕をぐいっと掴む。微妙に手首を捻られる形になっているので秀麗はその痛みに振り返り、掴んでいる人物を舐めつけるようにして見る。 「なんでよ、こっちで合ってるでしょ?」 「どこへ行くつもりだ。まさか安物の売ってある市のことじゃないだろうな」 そう言って清雅はニヤリと、それはそれは嫌らしく笑ったのだった。 花枝招展(かししょうてん) 秀麗は買い物に行く、という事だけを聞いていた。だから市に行くものだとばかり思っていた。それ以外にどこへ行くというのか。しかし、どうやら違ったようである。それでは一体、"安物"ではなく何を買いに行こうとしているのか。けれど、尋ねても清雅は行けば分かる、と言うばかりだった。 秀麗が軒(くるま)に乗るのは嫌だ、と拒否したため二人は歩いて出かけた。以前軒の中で清雅に襲われかけたことを気にしてのことだろう。清雅は文句を言ったが、それでも秀麗が「それじゃあ行かない」と言ったため、仕方なく歩くことを決めた。どうしても秀麗本人が行かなければ意味のないことだったのだ。 二人はてくてくとかなりの距離を歩き、漸く目的の店の前に来た。店、といっても秀麗がいつも行っているような市の店とはまったく様相が違う。豪華絢爛な作りの大きな屋敷だ。清雅はごくごく自然に中へ入っていく。秀麗は辺りをきょろきょろしながら清雅についていく。と、頭をポカリと清雅に殴られた。 「もっと高貴な女になれ。叩き出されるぞ」 徹頭徹尾仕事の顔になっている清雅の言葉に秀麗は背筋をピンと伸ばし、するすると歩き出す。それを確認した清雅は、おもむろに右手で秀麗の右手をとり、もう一方の左手で秀麗の腰にするりと手を回す。秀麗は声こそあげなかったものの、抗議の目を向ける。清雅は唇を秀麗の耳元に近づけ、 「今日くらいは優しくしてやるぜ」 と甘い声で囁く。清雅の息が耳にかかった秀麗は思わずビクッと身を震わせる。それで大人しくなった秀麗を導くように清雅は店の中へと入っていった。 「いらっしゃいませ」 清雅が店の入り口で取り次いでもらうと、奥から店の主人らしき者が出てきた。どうやら清雅はこの店の常連らしい。 「簪や髪紐など、見せて頂きたいのですが」 清雅は笑顔を作り話しかける。その笑顔を見た秀麗はぞわりと身体中の毛が逆立つのを感じた。 「そちらの方のものですか?」 ニコニコと店の主人はちらりと秀麗に目を向ける。 「はい、そうです」 秀麗は自分のことが話に出たので、貴賓漂う仕草で優雅にお辞儀をする。その姿に店の主人は満足したようだ。 実は、ここの店の主人は貴族専門に店を出している。たとえ、貴族の紹介であろうと、店の雰囲気にそぐわない粗暴な者、主人に言わせれば一般庶民は一歩たりとも店の中に入らせない。入ってきたら叩き出す、という主義だった。秀麗は母親から叩き込まれた礼儀作法を駆使し、それを難なくやり過ごした。 屋敷の一角にある部屋に二人は通される。中に入ると、主人は螺鈿の筺(はこ)をいくつか取り出してきて卓子の上に中身を広げていく。常設展示などもってのほかだ。一つ一つ丁寧に紙や布で包まれたのをいちいち客が来る度にこうして広げるのだ。それがここでの常識。どうやらここは簪の部屋らしい。簪を並べ終えた主人はすっと離れると、何気なく二人にそれを見るよう促す。それを確認した清雅が秀麗の手をとって卓子に近づく。 「どれでも好きなのを選べ」 清雅はぼそっと秀麗に言う。こんな話し方を主人に聞かれたら多分即刻叩き出されるだろう。が、どうやら主人には聞こえていないようだ。秀麗の目の前にはどれも高級な(値札など置いてないが、明らかに意匠が違う)豪華絢爛煌びやかな簪が並んでいる。 「選べ、って言われても…」 滅多に飾り物など購入しないし、いつもならお財布と相談して好みに合うものを選んでいる秀麗にとって、何を基準に選んだらよいのか皆目見当がつかなかった。思わず秀麗は振り返り、店の主人に声をかけようとする。 「あの…スミマセン…値段とか教えてもらえ」 清雅がそれとなく秀麗の足を思いっきり踏んだ。ぎぎぎぎ、と秀麗は清雅の方を見る。清雅は何食わぬ顔をしている。 「あ、何でもありません」 にっこり笑顔を作った清雅は、近づきかけた店の主人をそれとなく追い払う。そして、ヒソヒソと主人に聞こえないように秀麗に 耳打ちしてくる。 「金のことは気にするな。必要経費として落とす」 「こんなものに国民が汗水流して働いて納めた税金使おうっていうの?!」 秀麗の方もしゃべり方は責めるようだが、やはりヒソヒソ声で話をする。 「こういう所に使わなくてどうする。必要経費だ、と俺が言ってるんだ」 秀麗が文句を言ったところで清雅は聞きそうにもなかった。さらに清雅は続ける。 「あと、言っておくが当然簪だけで最低5つくらいは必要だからな」 いちいちこいつを連れて何度も買いに来るのは面倒だ。けれど、毎回同じ簪をさしていたら潜入捜査に差し障りがある。こいつが王から貰った"蕾"の簪など言語道断。自分の名前を顔に書いて歩いているようなものだ。 「分かったわよ…」 言われた通りに簪を選ぶことにした秀麗はおもむろに簪を手にとって眺める。美しい鮮やかな青に金を散りばめたような石の周りを囲むようにして透き通った透明の小さな石が8つ並んでいる。すると、主人が離れたところからそれを察知し、説明してくる。 「そちらは碧州産の最高級の瑠璃と玻璃を上部にあしらっております。先日入荷したばかりですが、人気が高く、残り少なくなっております」 秀麗は振り返ってにこりと主人に微笑みかけ、次の簪を手にする。透き通った飴色の大きな石の左右に更に濃い飴色の一回り小さい石が配されており、よくよく見れば石の中に何か透けて見えている。光にかざすと更に美しく輝く。 「そちらは滅多に採ることのできない貴重な琥珀をふんだんに使わせていただいております」 後ろから主人が丁寧に説明する。簪を持つ秀麗の手はさきほどから微かに震えている。どれもこれも最高級の品々ばかりなのだ。 王家御用達の細工師にも引けを取らないくらいの。秀麗の頭の中で算盤(そろばん)の音がぱちぱちと鳴る。ここにある簪があれば家族3人、一生遊んで暮らせそうだ。…なんてことを考えている場合ではない、と秀麗は浮かんだ考えを打ち消す。兎に角どれか選ばなくてはならない。 「清雅さん、私(わたくし)選べませんわ。どれもこれも美しい品々ばかりで。選んでいただけません?」 ふっと顔を上げた秀麗は良家の姫の如く清雅に話しかける。秀麗は何だかどうでもよくなってきていたのだ。どれでも良いからさっさと買って帰りたい、と。それに、どれを選んでも同じような気もした。 「まぁまぁ、そうおっしゃらず。こちらなどいかがですか?」 清雅はそう言って優雅な手つきで一つの簪を手に取り秀麗に見せる。それには木苺のようにみずみずしく輝く赤い石が花の蕾のようにいくつか嵌め込まれており、また、その周りには蔓が巻き付くように伸びている。その金細工の意匠もなかなか見事なものだ。 「まぁ」 秀麗は目を見張り、それをしげしげと眺める。やはり綺麗なものには若い娘は弱いのだ。 「お気に召しましたなら、是非ともお付けになってみて下さいませ」 主人が試しにつけてみるように薦める。と、清雅が秀麗の髪を止めていた紐を解き、するりと簪を挿す。秀麗は壁に用意された鏡の前に行って確認する。秀麗の漆黒の髪の中に美しい赤が映えている。これなら文句ないだろう。清雅が選んだ、という点を除けば。 「こちら、頂きますわ」 秀麗は主人に声を掛けそれを挿したまま、他の簪を見るため再び戻る。やっぱり、せっかく来たのだし自分で選んだ方がいいというものだ。ゆったりとした足取りで卓子の周りを回り、ある簪の前で足を止めた。 (わぁ…綺麗。こんな石もあるのね) 優しい深い緑色をたたえた石がいくつも垂れ下がり、きらきらと輝いている。それを見た秀麗は何となく真面目な珀明を思い出した。 (珀みたいな石ね。) 秀麗は迷わずその簪を手に取り、清雅に渡す。清雅がそれを受け取り主人のもとへ持っていく。その後もこうして秀麗は計5本の簪を選んだ。そして、秀麗は清雅に目配せする。「選んだわよ!」と。 「もうよろしいですか?」 清雅がにこやかに秀麗に確認する。秀麗はゆっくりと頷き、清雅はその手を恭(うやうや)しくとると、主人に向き直り次のように言った。 「次の部屋へ案内をお願いします」 それを聞いた秀麗はそんなそぶりは少しも見せなかったものの、心の中で「もぉ〜帰りたい!!」と叫んだのだった。 さて、このようにして二人は簪をはじめとして、髪紐、また薄衣やら女物の衣服を大量に購入した。流石にこれだけの荷物は重くて持っては運べないので帰りは軒を呼び、それに乗って帰ることにした。秀麗は反対したが、清雅にいいように丸め込まれてしまった。しぶしぶながらも清雅の手を借りて軒に乗り込む。軒の戸が閉まり、主人の目が届かなくなると、秀麗ははーっと大きく息を吐き出した。買い物に想像以上に時間がかかってしまったのだ。 (つ、疲れた…。) 「なかなかの演技だったぜ」 清雅の方もすっかり寛いだ様子でニヤリと嗤う。秀麗はそんな清雅をちらりと横目で眺め、 「あんたもね」 と言う。 その後は会話が続かない。 馬車のがたごとという音だけが中に響く。 秀麗は窓から外を眺めていたし、清雅は頭の後ろで腕を組んでどうでもよさそうに時間を潰していた。 二人の距離は遠い。 秀麗が何気なく髪に手を伸ばした時、先ほど購入した簪を挿しっぱなしであったことに気付いた。手が当たった拍子にカシャン、と音を立てて簪が床に落ちる。秀麗の髪がさらりと広がる。清雅は落ちた簪に視線を向ける。それは先ほど自分が選んだ簪だ。身を起こして簪を拾い上げる。その時、時を同じくして簪に手を伸ばした秀麗と指先がぶつかる。清雅の指は、その視線と同じくらい冷たい。 あっ、と秀麗は声を上げる間もなくいつの間にか床に背がつき、上を見れば清雅の顔がそこにあった。と、冷たいものが喉の辺りに当たる。清雅が簪の尖った方の先端を秀麗の喉に突きつけていたのだ。清雅は面白そうに秀麗の顔全体をじっくりと眺め、歪んだ笑顔を見せる。 「……」 秀麗は清雅の先の行動が読めず、思わず清雅から顔を背ける。が、顎を掴まれ清雅の方に顔を向けさせられた。 「こうしてお前をいつでも簡単に殺せるのに…」 しかし、清雅は最後まで言わなかった。秀麗の顎をそっと放す。そして、突きつけていた簪を喉から離し、その先端を指先で弄ぶ。そして、先端から上へと指先を滑らせる。花の蕾を象(かたど)った赤い石を何度も撫でる。何処までも透き通った輝く宝石を。そこで、ふっと視線を秀麗に滑らせる。清雅が衣服の上に乗っかっていて身動きの取れない秀麗はイライラした様子で清雅を睨み付けていた。 暫くの間。二人の視線がぶつかる。 すると清雅は飽きたのか、すっと立ち上がって元々座っていた席に着く。秀麗はゆっくりと身を起こす。それを清雅は無表情に眺める。 と、馬車が止まった。どうやら城に着いたらしい。清雅が先に降り、下から秀麗に向かって手を伸ばす。秀麗は一瞬動きを止め、しかし清雅の手を取り大人しくそのまま下に降ろされる。 秀麗を降ろすと、清雅は大量の買い物を下ろして一人で軽々と担いでいこうとする。 (持とうと思えば一応持てたのね…) 秀麗は一瞬その姿を見送りかけ、しかし、走って追いつき 「私も持つわよ」 と清雅から荷物を奪い取り、遅れないようについていった。 最近、清雅の行動が複雑でますます読めなくなってきている、と思いながら。 ―後に、秀麗はこの時に購入した衣類や簪を身につけることになる。 その姿はまさに花枝招展(かししょうてん)。 決して手折られることなく風に揺れるしなやかな枝のように。 彼女は自分の道を真っ直ぐ歩いていく。 どこまでも、遙かな夢を追い続けて。 →→後書き 「金なら必要経費で落とす」っていう感じの響きって良くないですか(笑)。実はこのお話を書くより先に違うお話を書きかけていたのですが、時系列的にこっちの方を先に仕上げてしまおう、ということで頑張って書いてみました。 なんかね、最近清雅君の行動が読めないのよ…。自分で書いておいてなんですが。よく分からない行動をしてしまう清雅って原作からかけ離れつつないですか?大丈夫ですか?最近、私が勝手に脳内変換してるんじゃないかと気が気じゃないです…(ニコッ)。 丁寧な(?)話し言葉の二人も見所、ということでそろそろ失礼します。 |
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