バサバサバサ、という音と共に料紙やら書物が乱雑に床一面に広がる。
秀麗の腕が当たった拍子に資料の山が崩れてしまったのだ。
「あ…!スミマセン」
秀麗は落ちた資料をかき集めようと腰を屈(かが)めかけた。…のだが。
目の前に広がっている本が目に入り、思考が停止した。
なんと、それは誰が見ても間違いなく"春本"(しゅんぽん)以外の何物でもなかったのだ。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い


ゴホン、と咳払いがあちらこちらで聞こえる。はっと正気に戻った秀麗が辺りを見回すと多くの者が顔を朱く染めて目を逸らした。また、秀麗が資料を拾うのを手伝おうと近づいた者達は、その本から目が離せなくなってしまっていた。手が止まっている。
(…何でこんな所に、春本が?)
周囲に居てその春本を見てしまった者達の頭にはそんな疑問が真っ先に浮かんだ。そして次に、
(…何故、紅官吏が春本を持っているのだ?)
という疑問が湧いてきた。秀麗は大勢の者を惑わしている原因は春本にあると、直ぐさまその本を閉じ、他の資料もかき集めてダンッ、と卓子の上に音を立てて積み上げた。その音に多くの者はなんとか冷静さを取り戻したが、
「話を続けます」
と秀麗が至極冷静な声色で話を続けたものの、ざわめきやひそめきは最後まで収まることはなかった。


「あんのぉ〜蛾男めぇ〜〜」
話を終えた秀麗は重たい資料をガッシリと持ってブツブツ言いながらガシガシと歩いて自分の部屋に戻っていた。犯人はあいつしかいない。秀麗はその犯人に持てる悪の感情の全てをぶつけた。資料の山は清雅から渡されたものだったのだ。
話は数刻前に遡(さかのぼ)る。



どういうわけか、とある案件に関して御史台の官吏たちの前で秀麗が説明をすることになった。
「資料はこれを使え」
秀麗が説明に行く前に清雅がごっそりと資料を渡してきた。手を出すとズシリと重みが襲ってきた。秀麗は蹌踉(よろ)めきつつそれを受け取る。
「こんなに沢山?」
その量に思わず秀麗は本音を漏らしてしまった。用意してくれたのは有り難いけれど―。
「そうだ。順番に並べてあるからその通りに使えばいい」
唇の両端を吊り上げて清雅は嗤う。ごくごく当然のように。
「あんたもたまには優しいのね」
順番通りに並べてくれるなんてどんな風の吹き回しだろう。何か悪いものでも食べたんじゃないだろうか。
「何を言ってる。いつも優しいだろ」
清雅はふっと鼻で笑い、秀麗の顎に手を掛けてきた。
「どこをどうしたらそういう風になるのかしら」
秀麗は清雅の手をきつく掴んで引き剥がし、清雅の目を睨み付ける。その目で飛んでいる鳥でも簡単に射殺せそうだ。
「ま、せいぜい頑張れ」
清雅はニヤリと笑って秀麗の手を払いのけると、くるりと踵を返し出て行った。秀麗は清雅が部屋を出るまで、一瞬たりとも清雅から目を離さなかった。



そうして、今に至る。
「この、この、このぉーーーーーーー!!」
秀麗は部屋に戻るや否や例の春本を足でグリグリと踏み躙り、ゲシゲシと何度も踏んだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというが、それはまさにこのことだ。何の罪もないただの春本(秀麗は春本自体元々そんなに許してはいないのだが)に秀麗は八つ当たりをする。
「あの…お嬢さん?」
帰ってきて早々、春本をズベシっと床に叩きつけたかと思うと、足で弄(いじ)り始めた秀麗の姿に蘇芳はタジタジしていた。秀麗は蘇芳の声にはちゃんと耳を貸したが、
「タンタン、今ちょっと話しかけないでくれる!?」
ギラッとした目で蘇芳の方をちらりとみると、再び行為を再開した。蘇芳はその目に心底怯えた。
(コエェ…お嬢さん、違う意味でますます強くなってるんデスケド)
しかし、蘇芳はこんな時の秀麗を止める勇気など一寸たりとも持ち合わせていなかった。


そこへ―。
秀麗の怒りの矛先である清雅が飄々と現れた。自分に気付かず、その名前を叫びながら行為をなお続けている秀麗をさも可笑しそうに眺めながら椅子に座る。
「どうだった」
清雅は秀麗の仕事の成果を聞くため後ろから声をかける。その声に秀麗はピタリと動きを停止した。そして、がばっと声のした方を振り返る。
「…セーガ!!?」
秀麗ははっと気付き、両足を揃えてからおほほ、と笑う。
「仕事は上手くいったわ」
卓子の方に行って紙をとってきて清雅に渡す。清雅はじっくりとそれを見た後、
「ま、こんなもんだろうな」
と一言。ピキリ、と秀麗の中で音が鳴る。それから何を思ったか先ほどまで足蹴にしてボロボロになった春本を床から拾い上げ清雅の目の前に突きつける。そういえば、清雅は春本なんか何処から持ってきたんだろう?と思いながら。清雅は春本をどうでもよさそうに秀麗の手から受け取る。表紙が今にも外れそうだ。
「うわー…ボロボロだな。ご愁傷様」
ハハッ、と清雅は笑う。
「ご愁傷様、じゃないわよ。よくも大勢の前で恥かかせてくれたわね」
秀麗は清雅の座る椅子の背の部分に手をかけ、息がかかるくらい清雅に詰め寄る。
「まさか、お前。これまで持ってったわけ?」
清雅がわざとらしく驚いた、といった風に目を丸くする。
「敵からもらったものを確認もせずにそのまま持っていくとはな」
清雅は凶悪嬉しそうな顔で笑い、更に顔を近づけ秀麗の顔を覗き込む。ぐっと秀麗は言葉に詰まる。
そうだ、清雅は狙っていたのだ。
どうしてあの時浮かんだ疑問を生かせなかったのだろう、と秀麗は悔しがる。
けれど―。
「それにしても、やり方ってもんがあるでしょ?」
秀麗は腰に手を当て怒った様子で言う。
「春本…なんて」
ポソリと呟く。そして、先ほど疑問に思ったことを思い出した。この春本、清雅の私物だろうか?


「春本…あんたも持ってたのね…」
クスリと意地悪そうに笑ってみせる。清雅は狼狽(うろた)えるだろうか。それを見るのも面白い。
「冗談。何で俺が持ってるんだ。あの冗官室にあったのを一冊こういう時の為にパクっといたんだよ」
清雅は椅子の背にもたれかかって偉そうに言う。秀麗は眉を上げ、次のように言った。
「へぇぇええ。でも、今日まであんたが持っていたんだ」
ピクリ、と清雅が反応した。
「もう十分堪能したからいらないってことかしら?」
フフフと秀麗は不気味に笑い清雅の弱みをつく。"堪能"という言葉が秀麗の口から出たのはある意味進歩かもしれない。と、清雅が秀麗の顔の横の髪を引っ掴み顔を近づけ言った。
「ふざけるのも大概にしろ」
その冷たい視線に秀麗は思わずたじろぐ。そして、清雅は手を離し言った。
「大体、俺はこういう女が嫌いだ」
適当に春本の頁を捲り、秀麗の顔の前に広げる。秀麗は思わず目を逸らしかけたが、ふっと気がついた。
女女してるのは嫌いだ、と清雅は前に言っていたではないか。どれも扇情的な目線や体勢の女性が描かれた春本だ。それを清雅が好んで読んだり、愛用するとは思えない。
「今更気付いたか」
秀麗がようやくそのことに気付いた様子を見て清雅が馬鹿にしたような声で言う。秀麗は悔しいが何も言えない。何か言いたそうにしているが、何も言えないでいる秀麗の顔を見て清雅は楽しそうにしている。
「ま、こいつはお前が処分しとけ」
秀麗にポンッと閉じた春本を渡す。思わず秀麗は受け取ってしまった。
清雅が自分で捨てればいいのに、と思う。
「タヌキにやってもいいがな」
ちらり、と部屋の隅に避難して書物を繰っていた蘇芳の方に目を向ける。
(…さんざん無視しといて、こういうときにだけ話を振らないで下さい)
蘇芳は聞こえなかったふりをしてそのまま読書を続ける。清雅は二人を一瞥して部屋から出て行った。


―直後。
「もー、なんなのよ? あの蛾男! タンターンっ」
秀麗が蘇芳の手から書物を奪い取って話しかけてきた。
「あいつには何か弱みとかないわけ? 一般男子じゃないわけ? タンタン、何か知らない?」
秀麗の顔が蘇芳に迫る。秀麗は捲し立てるように疑問を蘇芳にぶつける。
「ちょっと、近すぎ」
といって蘇芳は秀麗の肩を押して遠ざける。それからすくっと立ち上がる。正直に言おう。
「ま、あんたが出し抜けるほど簡単にボロは出さないと思うけど?」
(タンタンに期待した私が間違っていた…)
それから秀麗は、苛立った心を落ち着けるためにふらふらと冗官室へと足を向けたのだった。




→→後書き
秀麗が晏樹に話した清雅の悪戯話です。これってかなり子供っぽいやり方ですよね。春本使う辺はあれですが。でもやっぱり、確認せずに持っていった秀麗にも否はある気がしますね。ありゃりゃ。そういう所が清雅の嫌味なとこですね。簡単には勝たせてくれないというか、相手にも否があるようにするというか。何かにつけて秀麗で遊んでいる清雅が好きだ!清雅を負かそうと色々頑張っちゃってる秀麗も好きだ!そしてそんなバチバチやってる二人から避難している一般市民の蘇芳も好きだ!あと、なんだかんだ言って清雅が秀麗をからかうために春本を何処かに隠し持っていたならそれはそれで面白いと思う。執務用の机の抽斗(ひきだし)とかに仕舞っちゃってたりしたら更に良いかも。


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