月夜に釜を抜かれる


「清雅、いる?」
「…何だ」
俺は目を通していた書翰から目を離し、胡乱な目で突然断りもなしに部屋に入ってきた人物を見つめた。
―秀麗だ。
「だいたい、俺の断りもなしに勝手に入るな」
開いていた資料を手際よく片づけて、文句をつける。
「あぁ、そうだったわね」
秀麗は別に悪びれた様子もなくそう言った。
―別にどうでもいいが。
「それで? 俺に一体何の用だ」
仕事の邪魔をされたことで俺は少々気が立っていた。
さっさと用件を言え。くだらないことだったら追い出すぞ。
「これなんだけど…」
秀麗はおもむろに手にしていた本を俺に見せてきた。
…一体何処から出したんだ? さっきまで何も持ってなかっただろ。
「何だ」
俺はそれを安易に手に取ることなく、秀麗に尋ねる。
「押収品の中にこれが混じってたんだけど…あんた、欲しいかと思って」
彼女は俺の問いに対する答えを口にすることなく、そう言った。
だから女は嫌いだ。遠回しな表現こそ無駄なものはない。
「俺が欲しい? 一体何なんだ」
それでも、彼女が"この俺"に相応しいと思ったものに興味を持ったので、更に問いかける。
ようやく彼女はその問いの答えを口にした。
「春本」
「は?」
俺は意味が分からずそう言うことしかできなかった。"シュンポン"…今確かにそう聞こえたが。
「あなた、こういう女の子が好みなんでしょ?」
秀麗は一瞬後ろを振り返り、誰もいないことを確認して"それ"を俺の顔の前に開げて言った。
……。
確かにそういう春本もあることにはあるのだ。
だからと言ってそれをわざわざ読むことはしない。
相当物好きがすることだろう。
「とうとうお前も焼きが回ったな。いや、最初からか」
「何よ。せっかく清雅のために残しておいたのに」
押収品の処分が年に何回かある。
そう、不要なものも結構混じっているのだ。
書物がその最たるものであり、他には衣料品、食料品など様々なものだある。
どうせ処分されるものなので、欲しい者は各自勝手に持ち帰っても良い。
彼女はそこでわざわざこれを自分の為にとってきた、と。要するにそういうことか。
ということは―つまり"俺"のことを"思って"持ってきたわけか。
「いや、だから何で春本なんだ…?」
くれるならもっとマシなものにしろ。
お前の弁当とか(これは無理か)、せめて押収品の昆布とか。
(何故昆布なのかは聞くな。実用性のあるものなら別に何でもいい)
「つべこべ言わず、有り難くもらっときなさいよ」
あの女は手にしたそれをあろう事か、俺の執務用の机の上に置いて出ていった。
よく分からない展開について行けなかった俺は一人取り残される。


と、秀麗が出て直後。戸を叩く者が現れた。
俺は机の上に残されたそれを適当に机に積み上げられた膨大な資料の中に滑り込ませる。
返事をするまでもなく、勝手に扉が開く。部屋の中に入ってきた人物は―晏樹だった。
彼なら勝手に入ってきても文句は言えない。
「…どうぞ」
既に晏樹は部屋の中に入ってきているが、椅子を指さしそこにかけるよう促した。
「今、ここからお姫様が出て行ったけど?」
椅子に腰を下ろした晏樹は、何故か面白いものを見たかのような表情で俺に問いかけてきた。
「…別に何もありませんよ」
鬱陶しいことを言われるのも面倒なので、適当に表情を作りそう言う。
晏樹はそれ以上追及しなかった。聞かれても答える義理はないが。
それから、ある件に関する話をいくらかした。晏樹がそのことについてよく知っていたからだ。
そして、仕事の話が済んだ時。
春本を隠した山に晏樹の手が何気なく伸ばされる―。
上から順に大して興味もなさそうにバラバラと捲って眺めている。
別に見られて困る機密性の高い資料はそこにはないが…。
先ほどの春本がマズイ。
焦ったせいもあるが、自身の机の抽斗に隠す余裕がなかったのが最大の敗因だ。
晏樹に見つかったら……それこそ一生の恥だな。
俺はそうなることも覚悟した。
そして、とうとう例の春本を隠したすぐ真上の資料が手にとられ―。


俺は突然パチリと目を開いた。部屋の天井が見える。
窓から差し込んだ夕日で部屋の中は橙に染まっている。
もう夕暮れ時なのだ。


…夢、か。あの女が夢にまで出てくるとは、俺も相当やばいな。


(しとね)から身を起こすと、髪をかき上げまだボンヤリとした目で天井を見上げ、思わずそう独り言ちた。
変な時間に仮眠をしてしまったのが悪かったのだろう。
いつもならそんなことをしないのだが、今日は公休日とあって、いつも通り早く起きたものの
昼を過ぎてから急激に眠気が襲ってきて、渋々ながらも仮眠をとったのだ。
―こんな夢を見たのは先日の悪戯のせいだろうか。
彼女にああいう風に切り返されるとは正直思っていなかった。
自分の隙につくづく反吐が出る。秀麗も最近そういう隙を見逃さなくなった。
まぁ、今のところはそれ以上に彼女の方が抜けている分、
結局彼女の方が俺に負かされる形にはなっているが…。
しかし、このまま彼女がそういう力をどんどん身につけていけば、俺が少しでも気を抜いた瞬間、
おそらく痛い目に遭うことは必死だ。「月夜に釜を抜かれる」といったところか。
ますます気が抜けない。これまでもそうしてきたが、そう思わされたのは彼女が初めてだ。
秀麗に会うまでは、この俺を脅かす者など現れようとも思わなかったが―。
けれど、それも悪くない。
しかも、あいつの俺を射るような視線は見ているだけでゾクゾクする。


俺は寝台からぺたりと地に降りて迷うことなく書棚の一つを目指す。
その中のある分厚い書物を取り出し、しばらく手先を器用に動かし、
カチリという音が聞こえたところで、細工した本からゆっくりと別の本を慎重に取り出す。
薄い油紙に包まれたその本から丁寧に油紙を解き開いて、中身を開く。
中から現れた本は紅い表紙の本。
はらりと表紙を捲って中を眺める。
―とんだ物好きもいたものだ。
クックと笑い声を漏らしながら俺は次々に頁を繰っていく。
誰が描いたかは定かではないが、朝廷内で働く紅秀麗を盗み描きした姿絵が何枚も続く。
あいつ本人はそんなことには全く気付いていないが、先日秀麗と話をしているときに何物かの気配を感じ、
そいつのいるらしき辺りにいきなり近づいてやった所、これが残されていたというわけだ。
慌てて逃げた馬鹿な奴に俺は有り難く感謝して、それを懐に入れて持ち帰った。
絵にはあいつが及第した頃の姿から茶州州牧として朝賀に出向いた時の姿、
更には冗官時代の彼女まで描かれている。
しかも絵の才能はそこそこあるらしく、それなりに上手く描かれている。
何故か後生大事にとっている。別の誰かにやろうなどという考えもなかった。
自分でも不思議だと思う。
ビリビリに破いて捨ててやっても別に構わないとも思った。
それなのに、丁寧に書棚の奥深く、誰にも手出し出来ない場所に仕舞い込み、
時折こうして取り出しては眺めている。
しかも、あいつはこうして俺にじっくりと眺められていることなど露知らずにいるのだ。
つくづく馬鹿な女だと思う。
何も知らないで、そういう俺と毎日顔を合わせているんだからな。


…。
ある絵のところで俺は手を止める。
―どの他の絵よりも気に入っている絵だ。
真っ直ぐと正面を見据え、俺を睨み付けるように彼女はその瞳を向けてくる。
どういう風に見ても、彼女の視線から避けることは出来ない。
まるで自分の為に描かれた絵なんじゃないだろうか、と思う。
絵師がそういう目を向けられた、というわけではなくそういう彼女の姿を何処かで見たのだろう。
そういう彼女の姿すら描こうとする者は一体どんな奴なんだろうかとも思う。
そいつはおそらく今まで描き溜めた彼女の絵を失くして相当慌てただろうが…。
第一、持ち歩く方が悪いがな。


俺はパタリと本を閉じると、再び薄い油紙でそれを丁寧に包み込み、
細工した本の中へ嵌め込み、取り出すときとは逆の手順で鍵を掛ける。
他の本の中にそれを紛れ込ませ書棚から離れる。


あぁ、本当に―
「馬鹿な女。」


俺は髪をかき上げて、そう言葉を吐き出す。窓の外を見れば、空は一段と濃く紅く染まっている。


紅秀麗。
「紅家長姫」、「国試探花及第者」、「前茶州州牧」。
余計な肩書きがあれこれ後ろに付いている女。
けれど、そんなことは関係ない。


―せいぜい俺に叩き落とされないように食いついてくることだ。所詮、お前は今は御史台の犬だ。




→→後書き
何かものすごく変態チックな清雅…。だって普段ストーカー紛いのことやってるし、別に影で世界に一つしかない秀麗の絵姿本とか眺めちゃっててもいいんじゃないかな、なんて。春本までとは言わないけどさ。あぁ、何か清雅に酷いこと言わせてると秀麗が めちゃめちゃ可哀想になってきた。秀麗好きの方にとって許容範囲なんでしょうかね? 私は別に大丈夫(?)なんですが。今回は清雅視点で書いてみたんですが、ど、どうでしょう? 文句は受け付けませんが(苦笑)。


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