―二人が初めて身を重ね合った日の翌日。 「タンタン。そっちの資料見終わったらこっちに頂戴」 目にも止まらぬ速さで書状に目を通し、書をしたためつつ秀麗は蘇芳に指示する。 「あーい」 資料から目を離さず、蘇芳は生返事をする。 いつも通り、仕事は山のように配分され二人は忙しくしていた。 カツカツ、という沓(くつ)の硬い音が響き、二人の仕事する机の横で止まった。 一瞬作業を中止し、秀麗と蘇芳はちらりと侵入者に目を向ける。 「紅秀麗、ちょっと来い」 秀麗は一言も発せず、書きかけの書を蘇芳に渡し、立ち上がる。 そして、二人は無言のまま外へ出る。 (…うわ、いつもに増して雰囲気悪いなぁ。あの二人) 蘇芳は二人の背を見送りつつ、こっそり心の中でそう呟いた。 二人は部屋から出ると、人気のない場所まで無言のまま移動し、向かい合う。 「…何か用かしら」 秀麗は心底鬱陶しい、といった目で清雅を見上げた。 「言い忘れていたが、これから先、仕事で男と寝ろと言われても拒否しろ」 清雅は秀麗の耳元に顔を近づけ、周りに万が一人がいたとしても聞こえないように低く囁いた。 「…たったそれだけのことでこんなとこまで呼び出したわけ?」 イラッとした声でそう言い、秀麗は清雅の胸板を思いっきり押して突き放した。 「悪いか」 清雅は秀麗にそこまで言われるとは思っていなかったようで、少し拗ねたような声で答えた。 「まぁ、いいわ。けど、長官の命令に逆らえるわけないじゃない」 秀麗は腕を組んで清雅の顔をまじまじと見る。 秀麗の言うことは最もだ。断れるくらいなら清雅に言われずとも断るだろう。 「それなら問題ない。俺が引き受ける」 しかし、清雅は信じられないことを口にした。 「あんたが引き受けるって…それって女装してってこと?」 目を丸くして秀麗は清雅の顔を覗き込む。清雅が女装してる姿なんて想像もつかない。 「勿論だ」 「無理よ」 「無理じゃない」 「嘘」 「俺を信じろ」 「嫌」 「馬鹿」 「清雅のトンチンカン」 「五月蠅い」 「……清雅なんか知らない」 秀麗は最後にそう言ってそっぽを向く。すると、清雅は乱暴に秀麗の腕を掴む。 「馬鹿にしないでよ!」 秀麗は激怒し、その手を振り払った。その拍子に爪で清雅の皮膚に赤い筋が引かれる。 秀麗のあまりの剣幕に流石の清雅も狼狽えた。 「お前、何怒ってるんだ」 清雅は秀麗の爪に引っ掻かれた所を確認しながら尋ねた。 「私にだってそれくらいのこと、出来るわ」 わなわなと震え、秀麗は言った。今にも泣き出しそうだ、と何となく清雅は思った。 「別にこの身体を仕事のためにいくらでも差し出してもいい」 秀麗は更にそう続けた。 清雅はその言葉に衝撃を受ける。そこまで、秀麗が覚悟しているとは清雅は思っていなかったのだ。 けれど、今にも泣きそうなその表情は明らかにその言葉とは違うのではないかと思う。 ただ、秀麗の自尊心をどうやら傷つけてしまったらしいことだけははっきり分かった。 「…それじゃあ、お前はそういう気持ちで俺に抱かれたのか」 こんなことを言おうと思わなかったのに、何故か口をついて出た。 仕事を続けていくために、御史台(ここ)に残るために彼女は自分に抱かれたのか、と。 それは正しいようで間違っていた。 それをさせたのは自分の押さえきれない衝動からだ。自分か死を選ばせるという卑怯な手で。 そんなことは分かり切っていたのだけれど、それでも秀麗の答えが聞きたかった。 「そんなの、知らないわ」 秀麗は清雅に背を向けた。小さな背だ、と清雅は思った。 「知らないで済むはずないだろう?」 もっと優しい言葉をかければ何か違ったのかも知れない。 けれど、自分にはそんなことは出来なかった。乱暴に彼女の腕を掴む。 「勝手にすればいいじゃない。私はもうあんたの顔なんか見たくない」 秀麗はそれだけ清雅に言うと清雅の腕を振り払って駆けだした。 あっ、と清雅は追いかけようとするも、留まった。 (…俺は相当嫌われているらしいな) 以前から分かっていたことなのに、何故かそのことを確認してしまった。 手に残された赤い筋が妙に痛みを感じさせた。 まるで、見計らったかのようにその日の午後、長官から呼び出され、彼は秀麗に男と寝ることを命じた。 秀麗は直後「分かりました」と至極普通の表情でそれを承諾しようとした。 しかし、そうなる前に清雅が阻んだ。 「長官、俺にやらせて下さい」 清雅の意外な言葉に御史台長官・葵皇毅はゆっくりと書翰から目を上げ、清雅を見つめた。 それは何処までも冷たい氷のような相貌。 「…どういう風の吹き回しだ」 「この女が正直上手く立ち回れるとは思えません。それなら俺が行った方がマシだと思います」 清雅は一歩前に踏み出し、進言した。 「それなら、お前が紅秀麗に直に手ほどきをしろ。実地にはやはり女である紅秀麗が適任だろう」 しかし、葵皇毅が言ったのは更に清雅にとって屈辱的なことであった。 "仕事のため"に、この女と寝ろ、だと? 「しかし…」 怒りを何とか静めて、猶も秀麗が男と寝ることを阻もうとする。 「まだ、何かあるのか」 ここまで清雅が食って掛かることは珍しい、と葵皇毅は心の中で呟いた。 けれど、勘の良い葵皇毅でさえ、その理由が何なのかは分からなかった。 「俺はこの女を抱くなんて御免です」 清雅は硬い声で言った。秀麗はピクリと肩を揺らした。 「命ずる。清雅、紅秀麗に手ほどきをしろ」 長官の命令だ。拒否すればどうなるか目に見えていた。 「拒否します」 それでも、清雅は拒んだ。 葵皇毅は目の前の青年を真っ直ぐとその瞳で射抜くと処分を言い渡した。 「ならば、一週間お前を職務から外そう。頭を冷やしてこい」 葵皇毅はそれから書翰に目を戻し、もう用はないといった風だ。 清雅は項垂れて秀麗の方をちらりと見る。 秀麗の唇がゆっくりと動く。 "ばかね" そして、秀麗は部屋から出て行く。 清雅はのろのろとその後をついていった。 自分としたことが、なんて馬鹿なことをしたんだろう―清雅はそう思い返す。 秀麗を独占したいという気持ちがあったのだ。 自分だけが誰にも知れないところで彼女の乱れる姿を見ることが出来る優越感。 自分でもおかしいと思う。自分は彼女のことが死ぬほど嫌いなのに。 彼女を壊してしまいたい欲望に駆られるのに。 それでも、清雅の心の中に燻る想いがある。何と呼べばよいのか分からない不思議な気持ち。 その理由はこの時、清雅にはまだ分からなかった。 そして、取り返しの付かない事をしてしまったことにも少しも気付いていなかったのだ。 この時既に運命の歯車は大きく狂い始めていた。 けれどそのことに気付いている者は誰もいなかった。 誰がそれを止められただろう。 もし誰か気付いていた者がいたとして、止めようとしていたとしても それは無理なことだったのかもしれないが。 →→後書き 微妙に続けてみた。それでもシリーズ物になるかは怪しいところ。一応この話の中の清雅は、この時点ではあくまでも秀麗を汚したいから抱いたわけでそこには愛情はない、と。でも、その気持ちが根底にあって、その上で独占欲みたいなものが出てきていて・・・って感じですかね。秀麗の方も心底清雅を嫌っていて、たかが清雅に身体をどうこうされようと知ったもんじゃない、という感じ?前回、「愛してる」って言い合ったのはあくまでも形だけ。どこまでも愛おしそうな顔で囁き合うのに心は全くもって 冷え切っていて相手を憎み合ってる状況っていう・・・。なんか殺伐としてる気がしますが(苦笑)。しかし、公然と秀麗を抱けと皇毅に命令された清雅はどうするのか。続きが気になるところですが、続くかどうかは肯定できないのが苦しいところ・・・だってホントに救いようのない話に向かってどんどん進んでいくんですもの。怖くて書けそうもないです(逃走)。 |
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