「お疲れではありませんか?」
今日も今日とて、未だに朝っぱらから冗官室でゴロゴロし(一応出仕はしているものの)各自の部署へと足を運ぼうとしない、殆どが自分よりも一回り以上年を取った冗官たちを叱咤激励し、しぶとく最後まで残っていた一人を冗官室から叩き出し終えたばかりの秀麗に清雅が横から声を掛けた。その声に張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたのか、秀麗は大きく溜息をついた。その顔には疲労の色が色濃く顕れている。
「お茶にしましょうか」
そう言って、清雅はゆっくりと立ち上がると茶器の置かれている部屋の一角へと足を運ぶ。
「あっ、お茶なら私が!」
その背に慌てて秀麗は声を掛けるが、振り返った清雅の微笑に勢いを削がれた。
「秀麗さんは休んでいて下さい。こういう時は有り難う、と一言言って頂けるだけで十分ですから」
「すみません、いつもいつもご迷惑ばかりかけて」
清雅の心遣いに感謝しつつ秀麗は浮かせかけた腰を再び下ろした。
「ほら、またすぐに謝る」
そう言って清雅は口元に手を当てクスクスと楽しそうに笑った。
「あっ…! 有り難う御座います」
秀麗は慌てて清雅に礼を述べる。
「いいんですよ」
そう言って、清雅は用意した茶器を乗せた盆を持って戻ってきた。


百星の明は一月の光に如かず


「楊修さんも、お茶にしませんか?」
清雅は戻ってくるときに、やはりいつもの如く部屋の隅で熱心に書き取りをしていた楊修にそうやって声を掛けた。
「あ、有り難う御座います〜。清雅さんにお茶を淹れて頂くなんて滅多にないことですしー」
声を掛けられた楊修はいそいそと近寄ってくる。楊修はおそらく一番乗りでこの部屋に来ているのではないだろうか、と思われるがかれこれ三時くらい書き取りの練習をしているのを秀麗は確認している。秀麗が来る前から続けていたならもっと長時間していたに違いない。
「そんなことはないですよ。僕は下っ端なので、うちの上司にしょっちゅう茶を淹れろと言われるんです」
苦笑混じりの微笑を浮かべながら清雅はそれぞれの前に茶と茶菓子を並べた。
「今日のお茶は龍泉茶です。随分、お疲れのようでしたから」
「清雅さんはホントに優しいですね。感動です」
秀麗はそう言って、瞳を潤ませながら清雅を見つめた。こんないい人が冗官にいて、しかも彼自身は既にクビ回避確定であることに秀麗は心底感謝した。それから、手元に視線を落としたところで、茶と一緒に並べられた菓子を見て秀麗は首を傾げた。
「…あら? このお菓子は…」
「あぁ、これはとある方から頂いたもので、僕一人では食べきれませんし、皆さんに食べて頂こうかと思って持ってきたんです」
清雅はまるでそういう質問を受けることを見越していたようで、すぐさまこのように答えた。
「これ、月餅…ですよね?」
こんがりと焼き上げられた丸く平たい饅頭―そう、ちょうど満月のようなそれを秀麗はしげしげと見つめる。
「めずらしいですよねぇ〜中秋節以外でこうして目にするのは」
月餅を摘み上げて目の高さまで持ってきて眺めている楊修の言う通り、月餅は中秋節の月見のお祭りで食べられるものであり、砂糖や木の実などをふんだんに使っていることからなかなか高価な菓子でもあって、普段は滅多に口にすることの出来ない代物である。しかも、清雅が持ってきたものは中の餡が一つ一つ違っていてかなり珍しい月餅も混じっているようだ。その月餅を中秋節でも何でもない時にしかも大量に(何の目的でかはさっぱり分からないが)贈ってくる者とは一体どんな人物なのだろう。楊修と秀麗は疑問に思った。
「確かにそうですね。何と言いますか、その方はちょっと変わった方なので…まぁ、聞かないであげて下さい」
「もしかして、清雅さんの上司の方、とか?」
秀麗は清雅の様子を見て、間髪入れずにそう尋ねた。別に何となく思ったことを言っただけだったのだが―。
「…よく分かりましたね」
清雅は啜っていたお茶を置き、驚いたといったように目を丸くした。どうやら当たりだったらしい。
「だって、冗官に落として反省させるような変わった方なんでしょう?」
「ホント、気になりますよねぇ〜秀麗さん、今度一緒に調べましょうねぇー清雅さんの上司が誰なのか」
「何、お二人で画策してるんですかっ! 恥ずかしいから止めて下さいよ。ほら、冷めない内にお茶をどうぞっ」
清雅は慌てて二人にお茶を勧める。秀麗と楊修は顔を見合わせてクスクスと笑いつつも、清雅の淹れたお茶に口をつけ、月餅をつまんだ。


「そういえば、月餅を詠んだ詩がありましたよねぇ〜」
美味しそうに月餅を食べ終えた楊修が何気なくこう言った。
「えーっと…『百星の明は一月の光に如かず 十ゆう畢く開くも一戸の明に若かず』でしたっけ?」
「よくご存じですね」
詰まることなくすらすらと詠んだ秀麗を見て、清雅が意外だ、といった風に目を丸くした。確かに、あまり有名ではない詩であるから清雅がそう思うのも無理はない。
「色々書物を読むのは好きでしたから」
清雅の視線を受けて、秀麗は照れたようにそう答えた。
「訳すると―百個の星の明かりも1つの月の光には敵わない。十の窓をすべて開けても、一つの戸を開けたほどに明るくはない。つまりは、『つまらぬ者が何人いても、一人の賢者の存在価値には及ばない』ってことですね〜」
楊修は何故か面白そうにそう言って、秀麗を見遣った。清雅も同様に秀麗の方へ顔を向けた。すると、楊修の訳を聞きながら、何か思案している様子を見せていた秀麗がゆっくりと口を開いてこう言った。
「……思ったんですけど、それって今の私達の状況に似てませんか?」
「あ、秀麗さんも気付きましたかー? 私もそう思いました〜」
「確かに、冗官を"つまらぬ者"と見れば、当てはまるかもしれませんね」
「有象無象の使えない冗官を使うよりは、一人の有能な官吏を使う方がよっぽど経済的ですものね」
「あれ? 秀麗さんもそれは理解されてたんですねー。誰彼構わずお世話を焼かれている割には」
「でも、何でもかんでもしてあげているわけじゃないでしょう? 結局は、彼ら自身の問題ですから。要するに、"一人の賢者"になればいいわけですよ」
「なかなか難しいでしょうに」
「それが出来なければクビ、ですもん。人間、やれば何でも出来ますって」
「秀麗さんは前向きですねぇ〜」
「よく言われます。…って、私も人ごとじゃないんですけどね」
と、秀麗が項垂れかけたところに暢気な声で「休憩中〜?」と言いながら、ある人物が入ってきた。


「タンタン! 来てたの?」
項垂れかけた頭を上げて、秀麗は振り返った。勿論、視線の先にはタンタンこと榛蘇芳。
「そんな、人を珍獣扱いするなよなー。俺も一応毎日その辺りを彷徨いてるんだからさー」
蘇芳は秀麗の隣の空いた椅子の背を抱え込むようにして席に着いた。
「お茶、淹れるわね」
秀麗はいそいそと立ち上がって蘇芳の分のお茶の用意をした。秀麗は蘇芳ののんびり構えた姿を見ると心持ち何だか癒されるような気がするのだ。
「あれ、月餅?」
蘇芳は秀麗の座っていた場所に残された菓子の包みの上の菓子屑を見て、こう呟いた。
「そうなのよ、珍しいでしょ?」
お茶を手に戻ってきた秀麗が蘇芳の手に茶を渡す。
「蘇芳さんも召し上がりますか? まだ沢山ありますので」
清雅はそう言って蘇芳の分の月餅を取りに行こうと腰を浮かせかけた。
「あ。清雅さん、待って。俺は要らないから」
「あ、もしかして蘇芳さんは甘いものが苦手だったり?」
清雅は浮かせかけた腰を再び下ろし、首を傾げた。
「そうじゃなくて。月餅ってポロポロ崩れるじゃん? それが面倒っていうか、好きじゃないんだよなー」
「あぁ、確かに」
納得、といった表情で清雅は頷く。
「でも、コツを掴めば案外綺麗に食べられますよー」
しかし、楊修は笑いながら手元の月餅の包み紙を見せた。確かに、楊修のそれは綺麗である。
「へぇ、楊修さんって意外とそういうのお得意なんですねー」
感心したように秀麗は言った。秀麗も気をつけてそれなりに綺麗に食べているが、やはりこぼれ落ちてしまうものだ。
「一口で食べればこぼれ落ちはしませんが、月餅は喉に詰まりやすいですし」
清雅も秀麗同様、僅かな月餅の屑が包み紙の上に残されている。
「そうそう。月見に月餅っていうのもなんだかなー。団子とかにしてくれればいいのになー」
蘇芳は相変わらずのタラタラした様子で椅子の背の上から腕をダラリと垂らし、ブツブツ呟いた。
「そういえば話に聞くところによると、東の諸島では月見にお団子を食べるとか」
そんな蘇芳の言葉に対し、楊修は顎に手を当ててこのように呟いた。
「へぇ〜あんた、結構何でも知ってるよなー地方にいたわりには」
「まぁ、知っていて損することはないですからー。こういう無駄知識を集めるのが趣味みたいなものなのでー」
「いいですね。そういうのって」
こうして、和やかに四人が机案を囲んでお茶を啜っているところに、ガヤガヤという声と、ギシギシと廊下を踏みならす足音が近付いてきた。そういえば、もうそろそろ昼時なのだ。


「ただいまー。なぁなぁ、聞いてくれよー今日もこっぴどく叱られてさー」
「俺も俺も〜仕事が遅いとかいってさー。新人なんだからもうちょっと甘くしてくれたっていいじゃんかよー」
「あー! 何、男三人で秀麗さん独占してるわけー? ずりぃー。俺もまぜてー」
「俺たちが仕事してる間に四人で仲良くお茶飲んでたわけぇ? 人のこと言えないじゃんかー」
「あ、これ月餅じゃん。何で今の時期に? しかも最高級品。これ、誰が持ってきたわけ?」
先ほどまでの和やかな雰囲気から一転、冗官室に溢れかえった冗官たちの声でまるでそこは蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)といった雰囲気へと変貌した。
「はいはいはい。分かったから、喋るなら一人ずつにして頂戴」
呆れた顔で秀麗は戻ってきた冗官たちを迎える。
「そーそー。てか、別にお嬢さん独占しようとか、誰も思ってないから」
今日も相変わらずのダダ漏れっぷりを見せてくれる蘇芳である。
「月餅は僕からの皆さんへの差し入れです。頂き物ですが、宜しかったらどうぞ」
蘇芳のダダ漏れをさらりと無視するように清雅がにこやかな笑顔を振りまく。
「それ、美味しかったですよぉ〜おススメですー。あ、僕はちょっと行くところがあるので失礼しますねー」
そう言って楊修は立ち上がって室から出て行く。それに続いて―。
「それじゃ、俺も行くから」
「あ、タンタンも行っちゃうの?」
「何? お嬢さんはそんなに俺がいないと寂しーわけ?」
秀麗の声に振り返った蘇芳は、彼女の鼻をピンと弾くとヒラヒラと手を振って室から出て行く。その後ろ姿を眺めた清雅は心底羨ましそうに呟き、その言葉に秀麗はバタバタと手を振って否定する。
「ホントに、お二人は仲がよろしいですね」
「そ、そんなことないですっ」
「…それじゃあ、僕たちも皆さんと一緒にお昼ご飯にしますか。彼らの昼からの仕事の前に、僕たちは仕事をしなくちゃなりませんが」
「そうですね」


こうして、清雅と秀麗はそれぞれ戻ってきた冗官たちと一緒に昼食をとりながら、彼らの愚痴や不満を熱心に聞き、そして昼からの仕事へと出て行く彼らの尻を引っぱたいて、『脱・冗官対策室』責任者としての任務を果たす。結局、彼らの仕事は朝廷の仕事時間以外が主なのだ。ちゃんとした部署でこき使われて働いていたなら、残業手当の一つや二つ要求していてもおかしくないくらいに"働いている"。但し、それはあくまでも朝廷の管轄外の仕事ではあるが―。




→→後書き
秀麗を信用させようとあれこれ世話を焼いてる清雅って面白い。というか、長官が月餅を清雅に託しちゃう部分とか意味不明ですが。何がやりたいんだ、私。『せいぜいこれでも食わせてやれ』とか何とか言って二人でほくそ笑んでたりしたら面白いのにさ。『お前ら使えねーよ』みたいな?<黒いね タンタンとかめんどくさがりやだから月餅とかちまちま食べられないと思う。昔、月餅を割らずに丸ごと食べて喉に詰めちゃった嫌な思い出があるとか。←タンタンなら絶対やりそうだ(笑)。清雅も頑張って綺麗に食べようと毎回努力してるといいよ。楊修さんに対抗心燃やして練習を重ねたりしてね。


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